[第45回「君という光が」: 登場人物紹介] ※年齢は全て、ヒカルの2006年8月18日の埼玉二日目コンサートの時点を基準にしています。
ヒカル: 23歳、日本を代表するR&Bシンガーソングライター。全米にも進出中。宇多田ヒカルのイメージをそのまま重ねていただければ結構です。このストーリィには直接関係しませんが、主要人物に対する心理的影響は大きなものがあります。
西田智也: 24歳、フリーター、ネット投資家、早稲田大学文学部受験に2年連続失敗し、日大文学部中退の過去を持つ。バイト先の中島明菜と交際を始めたばかり。ヒカルのコンサートで渡瀬奈緒美と邂逅する。コンサート記事を書いたことにより、円城寺いずみからメールが送られて来た。 その後、渡瀬奈緒美と再会することで中島明菜との仲にヒビが入り別れを告げられることに……
渡瀬奈緒美: 23歳、多摩美術大学グラフィックデザイン科2年生、円城寺いずみと親友、藝大受験を5年連続で失敗し、4年間の浪人生活にピリオドを打って多摩美に入学した苦い過去を持つ。ヒカルのコンサートで西田智也と邂逅する。 円城寺いずみの画策で西田智也と再会し、遂には交際を始めたが……
中島明菜: 20歳、フリーター。バイト先で西田智也と出会い、ヒカルのコンサートで初デート。何かの拍子に自分のことを『ボク』と呼んで落ち込むことがあるが、過去に何かトラウマがありそうだ。 西田智也と恋仲になるが、あることが切っ掛けで別れを決意したが……
円城寺いずみ: 21歳、多摩美術大学グラフィックデザイン科2年生、渡瀬奈緒美と親友。入院中。西田智也と渡瀬奈緒美を交際させようと画策するが…
円城寺誠: 16歳、高校1年生、円城寺いずみの弟、ブラジリアン格闘技修行中。姉の友人渡瀬奈緒美に恋しているが……
西田智彦: 53歳、西田司法書士事務所所長、智也の父。子どもっぽく責任感が薄いので事務所の使用人からも嫌われている。 ある日愛人との旅行が妻にばれて…… 西田典子: 52歳、西田司法書士事務所経理担当、智也の母。 ある日夫の旅行に疑問を持ち、探偵事務所に浮気調査を依頼したが……
++++++++++これより本編+++++++++++
[ ★★★「それが坂野さんと関係あるらしいのですが、奈緒美さんは、あまりそのことに触れられたくないみたいなんです」 「鬱血とは打撲でできる痣みたいなものかね」 「僕には注射の痕の様に見えました」 この辺にあったんですよと、僕は鬱血の場所を自分の腕を指差して示した。★★★ ] 「まさか!」 「麻薬とかには一切関係ありません。それは確かです。坂野さんの姉が看護士をしているらしくて、恐らく注射の練習みたいなものだとは思うのですが。でもそうした説明が何も無いから中々納得が行かないんです」 奈緒美から栗田に連絡がないと聞いてから、自分でも驚くほど大胆になっていた。彼を信頼できる人間だとは思っているが、淫靡な響きのある血の儀式についてはできる限り秘密を守りたい。 「ふうむ。坂野の姉が看護士だという話なら、私も聞いたことがある。渡瀬が君に対してどうして説明できないのか、ちょっと気になる所だな」 「坂野さんから、奈緒美さんとのことを何とか聞き出してもらえませんか。いやそれよりも僕が直接彼女に訊くべきだろうな。ああ坂野さんの連絡先さえ分れば……」 「ああ、ちょっと待ってくれ」 栗田は胸ポケットから手帳を取り出し、ページを何枚か捲り、メモ紙に番号を写し取った。 「ここに電話してみてくれ。坂野の携帯番号だ」 「誰から番号を訊いたと言えば良いでしょうか」 「とりあえず渡瀬から直接訊いたか、渡瀬の携帯を勝手に見たことにしておいてくれ。今は個人情報保護とか色々うるさいからな」 これで訪問の目的は達成だ。メモ紙をポケットにしまった時、栗田が言った。 「さっき君がどうして坂野小雪のことを知らない振りしたのか、今は訊かないでおこう。渡瀬のことは色々と大変だと思うが、彼女の為に頑張ってくれ」 栗田のことを少し甘く見過ぎていたようだ。彼は悩み続ける奈緒美のことを長い間指導して来た。注射痕と云う材料から、血の儀式やその目的を彼が洞察したとしても不思議は無い。何しろ彼は、僕にとっては未知の存在である坂野小雪のことも、彼女が高校一年生の時から八年もの間見続けて来たのだ。 最後に一つだけいいかと、栗田は僕の目を見た。 「君が慎重で考え深い人間だと僕は信じている。実は坂野には一風変わった所がある。彼女と話をする時は、何か気に障ることを言われても決して短気を起こすな。彼女の真意がどこにあるか冷静に推し量りたまえ。坂野のことも君ならきっと理解できる筈だ」
その日の夕方、僕はあるアパートを目指して、葛飾区新小岩の街を歩いていた。乗って来たバイクは今しがたそこのコンビニに停車して来た。ここからはもう近い筈だ。 これかな。そう思って見上げたのは、二階建ての小じゃれた外観のアパートだ。外壁は薄紫で聞いていた通りだが、建物にアパート名は無かった。確認しようと携帯を取り出した途端、『オートマチック』の着歌が鳴った。ディスプレーには小雪の名前が表示されている。 「割と早かったじゃない」 「僕が見えるのか」 ブルーのライダージャケットを着て行くと電話しておいたから、恐らく窓から僕の姿を確認したのだろう。 「二階の一番奥だから、早く上がってらっしゃい」 「一人?」 「姉は遅くならないと帰って来ない。だからって安心しないでよ。部屋には非常ベルもあるんだからね」 「何もしやしないよ」 「念の為よ。奈緒の恋人だとしても、私はあんたを知らないし」 「僕は獰猛な狼じゃない。どちらかと言えば草食の羊さ」 「危ないヤツに限って、似たようなことを言うんだよね」 「じゃあ、近くのファミレスに場所を変更しよう。その方が誤解が無くて良いと思うしね」 「ダメよ」 「どうして」 「質問タイムには早過ぎるんじゃない。早く上がって来て」 「OK」 実はほっとしていた。一人暮らしの、それも見知らぬ女の部屋を探し歩くなんて、例え相手から指定されたこととは言えかなり後ろめたい。正確に言えば、ここに住んでいるのは小雪の姉だ。大学まで近いからか、小雪はこの部屋によく泊めてもらうらしい。妹が合鍵を持っていると言う事は、姉には恐らく恋人の様な存在が無いのだろう。まあこの際、そんなことは関係の無い話だが。 一番奥の二〇八号室まで、覚悟を決めながら僕はゆっくりと歩んだ。一つ手前の部屋を通過する時、奥のドアが開き小雪と思われる女が顔を見せた。奈緒美より幾らか小柄な女だ。 「早く入って」 「お邪魔します」 リビングとダイニングがワンルームになっているせいか広々としている。照明もかなり明るい。下町のアパートと言っても、賃貸マンション位には見える部屋だ。 中へ入ると、小雪は奥の窓際にあるベージュ色のソファを指差した。僕はダイニングスペースを通り抜けそこへ腰掛けた。小雪はダイニングチェアを取って来て、僕の真ん前に置いた。ミニスカートの若い女に真正面に腰掛けられて目のやり場に困った。始めは男の反応をおもしろがっているのかと思ったが、どうやらそれは思い違いのようだ。訪ねて来た親友の恋人を、よく観察してやろうというのが正解に近いだろう。上から下まで舐める様に観られて、気まずさをはぐらかす様に僕は口を開いた。 「今日は急に押し掛けるみたいになってすみません」 「良いの。私が今日来てって言ったんだから」 「用件さえ済めばすぐ帰りますから」 「別にすぐ帰らなくてもいいよ」 「でも、女一人の部屋に長居する訳には」 「余計なこと言わないで」 むかついたが僕は口を閉じた。一風変わった所がある女か。短気を起さずゆっくりとね。 小雪は薄気味悪く笑った。 「西田智也君。二十五歳。ローソンでバイト中。作家志望」 僕は小雪を見たが、言葉は返さなかった。 「奈緒の恋人。奈緒も到頭恋人作ったのか」 僕は相変わらず口を閉ざしていた。 「奈緒のことどの位好きなの」 小雪の質問の意図が分らず、僕は俯いた。 「答えて」 「これは尋問なのか」 「ただの質問よ。私に訊きたいことがあるなら、あなたも私の質問に答えてよ」 「分ったよ。僕は奈緒美が大好きだ。誰よりも好きだよ」 「ふうん」 「ふうんて、何だよ」 「すぐ怒らないで」 「別に怒ってないよ」 「そうかな。智也君、アイスコーヒー飲む」 黙って頷くと小雪はダイニングへ行った。どうも美大の女は変わった人が揃っている。これじゃどっちが年上だか分らない。 小雪はスタバのチルドコーヒーを二つ、小さなテーブルに置いた。深煎りの苦そうなヤツだ。 「ラテの方が良かったのかな」 「いやエスプレッソは飲んだこと無いから、一度飲んでみたいと思っていた」 「柔軟だね」 「どういう意味」 「そのままの意味」 「ふうん」 余裕があった訳じゃない。ただ、どうすれば良いのか分らなかっただけだ。僕は出された紙カップの蓋を外し、ヨコにくっ付いているストローは使わずに直接中身に口を付けた。味はよく分らなかったが、おいしいと言った。 「智也君、結構おもしろいね」 「そんなこと言われたこと無いけどね」 「今日も、私が指定した場所へ来たし。怖くなかったの」 「少しだけ怖かった。君がどんな人かよく知らないし」 「素直だね」 「まあね」 「勇気もあるし」 「それはあまり無い」 小雪はストローを突き差すと、驚くほどの速度でエスプレッソを一気に飲み始めた。あっという間に飲み終え、おいしそうな顔をする。そういう飲み方もあるのかといたく感心した僕は、カップの残りを始めの三倍速でやっつけてみた。強い苦味が口中一杯に広がった。そんな僕を小雪は愉快そうに見ていた。 「どうして私にすぐ会いたかったの。奈緒に紹介を頼めばよかったのに。それまで待てなかったの」 「どうしても確認しておきたいことがあるからさ」 「何よ」 「君と奈緒美の間でやった採血のこと」 「やっぱり奈緒はあんたに話したのか。少しがっかり」 「どうして」 「奈緒があんたのことを本気で好きなのかと思ったからよ」 「多分、そうだと思うよ」 「自信家なのね」 「そうじゃないけど、分るんだ」 「じゃあ、血の儀式のことは全て聞いてるの」 「全てかどうか分らない。君と自分にしか分らないと奈緒美は言ったしね」 「それを確かめに来たのね」 「うん」 「じゃあ、再現してあげるから。腕を捲りなさい」 試すつもりなのか。小雪は、冷たく刺すような目付きで僕を見詰めた。 少しの間躊躇した。しかし、ここに来たのは、奈緒美が僕には分らないと言ったからだった。覚悟を決めて青いライダージャケットを脱いだ。長袖Tシャツの左袖を肘の上まで捲った。 小雪は少し驚いたような顔をした。勇気があるねなどと言いながら、実は僕のことを見くびっていたに違いない。 小雪は立ち上がると隣室へ向いドアを開けた。大き目のナイロンバッグを右手にして出て来た小雪は、ダイニングテーブルの上に置いて僕を呼んだ。言われた通りに僕は対面の椅子に腰掛けた。 バッグのファスナーを二つ開けて、小雪は一巻きの道具袋の様なものを取り出しテーブルに長く広げた。僕の目は中身に釘付けになった。大小の注射器と注射針が透けて見えるプラスチックケース群。平ゴムのベルト、ゴム管、小さなガラス管が数本、ガーゼ、テープ、鋏、ピンセットなどが確認できた。薄透明の袋に入った脱脂綿みたいなものもある。 「それはお姉さんのものなのか」 「私のものよ」 「こんなもの、どこから手に入れたんだ」 「姉からよ。そんなこと訊いてどうするつもり」 「別に」 「じゃあ余計なこと訊かないで」 「分ったよ」 小雪はもう一度バッグの中に手を入れ、金属製の試験管立てのようなものと、長方形のステンレス製トレイを取り出した。そして長巻にセットされたガラス管の中から、三本を取り出し管立てに立てた。 小さな試験管の口に、軟質のプラスチックとゴムでできたキャップが付属している。そのガラス管を採血管あるいは採血スピッツと云い、注射器のことは奈緒美からも聞いていたが、シリンジと云うそうだ。 小雪は一旦手を洗いに行き、戻ってから卓上消毒剤をワンプッシュして両手を擦り合わせた。小雪の目がきらりと光り、広げた長巻から太いシリンジの入った透明ケースを取り出し開封した。次いで、たくさんある注射針ケースの中から一つを取り出し、ケースを開封し、その注射針をシリンジに取り付け、金属トレイに載せた。それを見ているだけで僕の鼓動は早くなって来た。 金属トレイにはその外、極薄のゴム手袋や小さな消毒綿パッケージなど、採血用セットと思われるもの一揃いが載せられた。 ダイニングの一角に目を遣ると、使用目的の分らない、巻かれたビニール製カーテンが吊り下がっていて、その向こう側にも何かの一部が見えている。 「これが気になる?」 「何なの」 「ここは処置室代わりになるのよ」 小雪はビニールカーテンの下がっている天井部分を指差し、その指先で円周を描いた。彼女がなぞった通り、カーテンレールがダイニングテーブルと椅子を取り巻いている。ダイニングテーブルは透明ビニールのテーブル掛けで覆われていたし、床にも透明ゴムシートの様なものが敷かれていた。壁にはアーム式の可動照明設備があり、どれも簡単な改造ばかりだが、確かに処置室としての機能を有している。 小雪はバッグから手術着のようなものを取り出して、手早く身に着けた。念の入った準備には驚かされる。これも血の儀式の演出の一部なのだろうか。次いで小雪はビニールカーテンを引き、ダイニングの一部を処置室に変身させた。 奈緒美もここで血の儀式を行ったのか。僕は思わず生唾を飲み込んだ。小さな音が響いたかも知れない。小雪が意地悪く笑ったように見えた。★★★
++++++++以下次回へと続く+++++++++
テーマ:自作恋愛連載小説 - ジャンル:小説・文学
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