アップに纏めた長い栗色の髪、細いうなじと後れ毛が純に強い印象を与えた。顔も立ち居振る舞いも大人びて、中学生時代とは様変わりだったが、会うまでに数回の電話を重ねていたせいか、二人は十年の時を超えても以前のように自然に接することができた。それは純には奇跡とも思えることだったが、百合にとっては奇跡そのものだったのだ。
「ゆりかもめ」でパレットタウンへ移動して、長い行列に並んで大観覧車に乗る。空中散歩が終わる頃には、純と百合は何年も付き合っている恋人たちのように見えた。 暑さを避けて再びゆりかもめで、遠回りするようにお台場海浜公園まで戻った二人は、デックス東京ビーチの前の歩道を行く内に、「ねこたまリビング」と云うサインポールを見つけた。 ネコちゃん見て行こうよと百合がねだる。ネコ好きの純はいいねと笑顔を見せて同意する。 ネコたちの様子をベンチで眺めていると、一匹のネコが純にすり寄って来た。 ネコを二人でさすっている内に、僅か半月前には家庭を持つことなど考えもしなかった筈の自分が、百合との子供を一緒に育てたら、どんなにか楽しいのではないかと心変わりしていることに気が付き、純は少なからずうろたえた。 まったりとした時間を過ごした二人は、同じビルにあるセガアミューズメントの遊具で童心に戻り、フジテレビお台場冒険王のお化け屋敷では安全が保証された恐怖を楽しんだ。 外に出てみると、日も大分落ち掛かっている。 どうやら二人は、夢中になって時間の過ぎるのも忘れていたらしい。路上は花火を楽しむ為に集まって来た人波に動きが取れなくなっていた。できれば砂浜まで出て花火を楽しみたかった百合に純が提案する。 「やっぱりさっき予約しておいた、アクアシティのレストランから見た方がよさそうだね」 人波をもう一度確認すると、諦めたように百合はその意見に賛成した。 六階にあるイタリアンレストランの外側のテラス席は、六月からの予約受付で既に一杯だった。それでも二人が案内された席は、室内窓側のテーブルで、冷房もそこそこ効いていた。 この日は特別メニューで、コース料理の設定しかないと店の人は言う。花火の日は、どうせ客が回転しないと見たレストランの計算だろう。高価格というふるいに掛けられた客層は、静かに花火と料理を楽しもうと云う人が多く、恋人達にとってムードは最高になった。 百合と純はワインを注文し、一定の間隔で運ばれてくる料理と、レインボーブリッジの右横に次から次へと打ち上げられる花火をゆったりと楽しんでいた。 大きな花火が上がる度に百合は少女のように顔を輝かせ、明るい褐色の瞳には花火の色が反射した。いつのまにか純は、花火よりも百合を見詰める方が多くなっていた。 百合も純の熱い視線に気が付いていた。百合は思い出に浸りながらそっと言ってみる…… 「あの時は、私がずっとじゅんを見詰めていたんだよ」 あの時と言われて、純はそれがどの時か思いつかない。 「あの時って?」 「佃島で見る花火の方が、ずっと近くて大きく見えたよね?」 うっとりとした目で百合は純を見詰める。その視線が今の純にはとても眩しかった……そう思い出した。百合とは一度だけ花火を見に行ったことがある。 「中三の夏か? でもあの時ユリは家の用事があるってすぐ帰っちゃったじゃないか」 「ああ、そうだったっけ……」 百合は続けて瞬きをする。 「そうだよ、だから俺 花火はユリの妹と見たんだよ。名前何って言ったっけ?」 その問いに対し、百合は静かに名前だけを答えた。 「蘭」 「ああそうだ、蘭ちゃんだった。可愛い娘だったよねユリの妹」 花火のことと同時に、純は黒谷蘭の顔をおぼろげに思い出した。 百合の目が一瞬光る。 純の目の奥を窺うようにして百合は恐る恐る訊いた。 「憶えてるの?」 「うん、だんだん思い出してきた…… あの日、ユリは二つ下の妹の蘭ちゃんを連れて来た。いきなり俺にゴメンねと言ったんだ」 百合も同じことを思い出していた……あの時最後まで純と花火を見たかった…… 「うん」 「お盆休みで急に叔父さんが遊びに来たとかで、私だけでも叔父さんの相手をしなくちゃいけないとか言っていた」 「うん、良く憶えてるね」二人だけの花火…… あまり百合が見詰めるので、その目を見詰め返しながら、純は言葉を一つ一つ置いて行った。 「蘭ちゃんはどうしても花火を見たいと言って、俺が残って一緒に見ることになった」 「そうだったね」 百合は緊張を解くように、純から外の花火に視線を移動した。 「俺は始め、そりゃないだろって怒っていたんだ。でも花火が始まって見ると俺もすっかり目を奪われていた」 百合の横顔を見ながらそう話す純は、今はうっすらと産毛の光る白い首筋に目を奪われている。 花火を見ていた百合はまた純に視線を戻した。時間差を置いて、今咲き終わったばかりの大きな花火の音が響いてくる。 「綺麗だったよねあの花火。ここから見るよりずっとずっと近くて、目の前に覆いかぶさって来るようだった」 うっとりとその時を思い出している百合の目を見てから、純は東京湾に咲く花火を一瞥する。今の純には目の前の花の方がずっと美しかった。 あの頃、この花は何故俺を忘れ、他の恋人を作ってしまったのだろうか? 別の高校へ進学した俺が悪いのか?……十年前、忘れようとして……そして忘れてしまったことを、今純は思い出した。 「ユリは始めの五分間だけだったろ。あの後の方がずっと凄かったんだぜ、蘭ちゃんに聞いてみなよ」 ちょっとだけその言い方には棘があった筈だが、百合は気が付かなかったようだ。 「今、一緒に住んでないんだ。私、大学卒業して佃島を出て一人暮らし始めたからね。蘭もアパートで一人暮らししてるんだよ。だから実家には父母の二人だけ」 佃島を出て行ったのは俺だけじゃないのか……純は何となくそんなことを思っていた。 「そうなんだ。でも電話くらいするだろ?」 どういう訳か、百合は視線を純に戻さずに、外の花火を眺めながら話し続ける。 「別々に暮らすようになってからは、あまり妹とは電話してないかな。どうせ盆暮れには実家で会うし、時々は週末に実家で一緒になることもあるから。大抵のことはその時、話してる」 純も百合の視線の先を見た。 相変わらず色とりどりの花火が夜空に踊っている。テラス席の方から大きな歓声が上がった。尺玉の大花火が、白い糸を長く引いて高く高く打ちあがって行く。一際高い所でそれは弾けた。東京湾に花火が大開花すると、ガラスの内側でも所々で歓声が上がった。 『どーん!』 三秒ほど遅れて大きな音が木霊して来る。きっと橋の向こう側の地区でも大勢の人が同じ様な歓声を上げていることだろう。 暫く外に目を奪われていた百合と純は、目の前の相手に視線を結んだ。 「俺も実家にはあまり電話しないな。母さんからは良く掛かってくるけどな」 百合は熱っぽい目で純を見詰める。 「来年か再来年は佃島で一緒に花火見たいね」 百合となら佃島で花火を見ても良い、今の純にはそう思えた。純は自分が佃島を避けている本当の理由にやっと気が付いたのだ。 「そうだな、佃島って好い所だもんな」 「寄り付かないくせに」 百合は築地で聴いた会話を思い出してそう言った。 「何となくな。佃島に残っている連中だけで高い垣根を作ってるような気がするんだ。ずっと一緒にいれば心地良いんだろうけど、若い時に離れるとあそこへ戻るのが少し怖い気がする」 それは純が漠然と感じていたことでウソではなかった。でも大きな理由が百合にあったことを、純は今認めざるを得ない。 「今だって若いでしょ」おかしそうに百合が笑う。 「まあ、そうだけどね」 あの頃はあの頃さ、今ユリの心は自分にある……純は自信を取り戻していた。ふとまた、花火の時の黒谷蘭のことが純の頭の中をよぎった。 「蘭ちゃんも大学へ行ったの? 元気なのかな」 「今年卒業して、四月から一人暮らししてる。とても元気だよ」 百合は笑顔でそう答える。 「俺、あの日蘭ちゃんと約束したことを思い出した」 「え? どんなこと」 百合は純の目を真っ直ぐに見た。 「来年も純さんと一緒に花火見たいなって言うから、俺、来年は姉さんと三人で一緒に見ようって言った」 「へえ……」百合は次の言葉を待っている。 純はそこで思い出し笑いをした。 「蘭ちゃん、私と二人だけじゃダメですか? って二個も年上の俺をからかうんだ。だから俺、うん良いよ、蘭ちゃんと二人で見に行こうって答えたっけ。ユリの方は隅田川の花火を誘うからいいさって冗談言ったらきゃっきゃして喜んでいた。可愛いよな」 百合は嬉しいような、寂しいような複雑な気分に浸っていた。 「ふうん、そんなことがあったんだ」 「誤解するなよ、ただの冗談だったんだから」 そう言った純は百合の気持ちを押し測るように覗き込む。 「蘭は案外本気だったのかも」 百合はそう言ってみた。 純はそれを百合の嫉妬と受け止める。 「そりゃないだろ。中一だったんだよ蘭ちゃん。まだ子供じゃん」 「そうだね、子供なんだろうね。中三から見た中一の娘なんて」 そう言って百合は少し俯く。 「そうだよ。それに今頃は恋人だっているんじゃないの?」 妹に嫉妬するなんておかしいよと思いながら、純はそう言い訳した。 「どうかなぁ……恋人の話は聞いた事はないけど」 「ああ、悪い悪い、蘭ちゃんの話ばかりしちゃってさ」 どうも具合が悪い方へ向かったと思い込んだ純は、百合の妹の話を強引に切り上げることにした。 「良いけどぉ」 純の話に合わせるように、口先をすぼめて百合は答えた。その表情にはほっとした気分が混じっていた。 純も百合の顔を見てほっとした。妹の話は避けた方が無難のようだ……純はそう考えた。 純は残り少なくなったボトルから百合のグラスにワインを注ぐ。 「さあさあ、機嫌直して一杯やってくんな」 「うん。でも一つ訊いても良い?」 百合はそう言って純の目を見た。純は少しだけ身構える。 「じゅんが佃島を避けている本当の理由を知りたいの」 百合はあの時から気になって仕方が無かったのだ……今訊いておかなければ、純との仲が順調に進んだとしても、広瀬明菜のようになってしまう自分が見え隠れしていた。 「言ってもいいけど、怒るなよ。今はそのことについて俺、何も思ってないから」 言いたくは無かったが、一方で言ってみたい気持ちも純にはあった。 「どういうこと? 怒らないって約束するから言ってみて」 百合の目が真剣になる。 百合の目を見て、純ははっきりと確認したい気持ちになった。 「中学卒業と同時に、親父の転勤の都合で俺は転居して佃島を出て行った」 「うん」 二人の耳には最早、花火の喧騒は聞こえなくなっている。 「ユリは地元の高校へ進み、俺は八王子の高校へ進学した」 「うん」 「俺は新しい高校へ慣れて来た頃、五月だったかな。ユリに会いたくなって佃島に一度だけ戻ったことがある」★ テーマ:自作恋愛連載小説 - ジャンル:小説・文学
|