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脳空間自由飛行
★メインはオリジナル小説(※著作権留保)の掲載... ★観月ありさ、宇多田ヒカル、マリア・シャラポワ、蒼井優、上戸彩、堀北真希、剛力彩芽、新垣結衣 ★小説の読みたい回を探すには「ブログ内検索」が便利!
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かづしげ

Author:かづしげ
★★★「君という光」連載中. 
★長編『アミーカ』 :"R18指定" 18歳になった夏樹は家出して風俗業界に飛び込んだ…
★長編『黒い美学』 :近未来SFアクション. on line RPGで大事件発生!
★短編『10年目の花火』
★長編『ドロップ』 :新人文学賞をめぐるミステリー



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オリジナル長編小説「ドロップ」第1回全35回
オリジナル長編小説「ドロップ」全35回連載第1回

※2004年9月から書き始め2005年1月に完成した4番目の作品です。
 原稿は1頁当り30字40行の1200字で作成し全175頁。大き目の活字の文庫本なら260ページ程度のミステリー長編小説です。1回当り5頁ずつ掲載予定。


【記事検索のヒント】
 『例:第1回の記事を見つけたい』→左の列にある≪ブログ内検索≫に、”「ドロップ」第1回”と入力し、検索ボタンを押します。めんどくさければ第1回だけでもOK。この時には他の小説の第1回も同時に検索結果として出て来るかも知れません。


++++++++++これより本編+++++++++++




      「ドロップ」

                        星野 一




     一 小説家への夢

「やったぁ 遂に完成した!」
 この三年間、書きかけ小説のタイトルばかりをストックし続けててきた竜野信也は、前年の暮れから書き始めた長編小説を六月上旬に書き上げた。
 二〇〇三年から二〇〇四年まで、大げさに言えば足掛け二年、正味半年弱の時間を掛けて漸く処女作が完成したのだ。だからこの時の信也の歓声が、マンションの隣室まで聞こえる程大きかったとしても、それは止むを得ないことである。

 信也がS大学経済学部を卒業して、安定を求めて地元の千葉県庁職員となり早十五年が経った。
 二三歳で社会人となり、三十まではあっという間に過ぎた。県庁職員は大体二年から三年で職場を異動する。信也の場合は、あまり関連の無い職場を二年ずつで異動して、三十になるまでに四つの部署を経験した。新しい仕事は覚えるべきことも多かったがそれなりに楽しかった。
 入庁九年目三一歳の時、五回目の異動で入庁時に配属された同じ課で係長になった。この時に信也は、少しばかり張り切り過ぎたのである。
 楽なルーチンワークに慣れた部下達は、何故自分達ばかりが同じ課の他の職員達に比べて、面倒な新規の仕事を余分にやらなければならないのか理解できなかったし、理解しようともしなかった。この十名の部下職員達は、信也が出張に出た留守を狙って、係長抜きで緊急会議を開き、前任者時代には無かった新規の仕事をボイコットすべく、たった一名を除き一致団結した。
 この時その決議に反対したのが、普段からなにかと信也に突っ掛かっていた仲橋広美であったことは意外だったが、広美以外の職員達はそれまで一人として表立って反対意見を出さなかったから、この予期しないクーデターは信也の心に深手を負わせた。
 出張から戻った信也は課長から別室へ呼ばれた。
 「君はスタンドプレーが過ぎる」「部下職員達の信頼を失っているようだな」「今後は部下達の意見もよく聞いてやれ」「君も今のままではやりにくいだろう。新年度になれば他の課へ異動させてやるから、それまではあまり波風を起こさないように」などというのが、課長の苦情であり要望でもあり命令でもあった。
 課長は信也の反論も公平に聞いて見せたが、それはポーズだけだった。君の熱意は買うが、同じ課内で突出した仕事をしてもらっては困る、これは他の係長達も同じ意見だよと釘を刺された。信也と云う「出る杭」は、文字通り深く打ち込まれたのだ。
 以来、昼休みには多くの職員が利用する最上階の大食堂においても、部下と同僚達は信也からあからさまに離れて席を取った。信也は庁内では常に孤独だった。長身と云う程ではないが、細長い体から自信や活気が消えてしまうと、信也はまるで重病人の様に儚げに見えた。
 信也を知る職員の中では唯一、仲橋広美だけが隣の席に着くようになった。
 広美は女にしては背が高い方である。プロポーションも悪くはないが、惜しいかな、ファッションセンスと云うものを殆ど持ち合わせていなかった。目鼻立ちはくっきりしており、きっちりメークすれば多分美人なのだろうが化粧っ気がまるで無い。仕事にはまじめであるが男には一切媚を売らない。要するに女っぽくないのだ。だから信也は、仲橋広美に対してはまるで女を感じていなかった。
 一方広美の方では、係の業務を改革しようと張り切る新係長に対し、そのやる気は認めても、中途半端な所が目立つ点が気に入らず、一々突っ掛かっていたようだ。それでも広美は、男としての信也に対し、悪い気は持っていなかった。
 どちらにしても、信也が村八分のような処分を受けたことは、正義感の強い広美には到底許せないことだった。自分だけは不正からこの男を守ろうと思い込んだ。信也の「弱さ」に対し、持ち前の母性本能が強くくすぐられたことを、広美自身は全く気付いていなかった。
 広美の接近について始めの内は、自分をからかうつもりなのだろうと信也は用心していた。そうでないことがわかると、徐々に心を開くことができた。
 信也に対し男を意識するようになった広美は、服装に気を遣う様になり化粧も巧くなった。比例するように、信也も広美を女として見る様になった。

 信也は翌年の人事で、県職員の誰もが嫌がる収用委員会課へ配属された。
 千葉県では一九八八年頃から収用委員会は機能していない。だからここは、収用委員会が再開されるまでの事務保全を仕事とする課で、その業務内容は閑散たるものだ。
 かつて成田空港工事に関する土地収用が、収用委員会の最重要な仕事だったことがある。
 その時、先祖代々農家を営む地元住民の、猛烈な反対を押し切る形で土地収用を進めた結果、反対運動に目を付けた反国家権力の過激派勢力と、反対住民が手を結ぶ事態を招いた。
 過激派は成田空港反対闘争を陣頭に立って仕切る一方で、収容委員やその家族をテロの標的とし、鉄パイプや角棒で滅多打ちにするゲリラ活動を行った。
 その結果、県議会の同意を得て、知事が任命する七人の収容委員達は次々に辞任し、その後任候補者達も就任要請を辞退した。委員の成り手は見つからなかった。
 勿論、収用委員会の仕事は成田ばかりではない。土地収用法に基づき都道府県に置かれ、裁判所に準ずる機能を持つ行政機関なのである。道路や鉄道など、公共用地の取得を計画する国や地方自治体などと、地権者との交渉が成立しない場合、両者から中立の立場で補償金などの利害を調整し、最終決断として「採決」を下したり、和解を勧める重要な機関である。だからこそ収用委員会の将来の再開に備えて、影は薄くとも収容委員会課だけは存続しているのである。
 成田問題がほぼ決着して以来、以前ほどではないにしろ、今でも時折過激派が、その主張檄文と共に、収容委員会関係者の自宅や車に放火する事件が起きる。過激派の残党達は、成田拡張工事に必要な土地収用が行われる兆しがあれば、また再結集するかも知れない。またそれを信じて行動しているだろう。
 そんなこんなで、この課には負のイメージが常に付いて回る。市販される県庁の職員録にも、収用委員会課については情報が全く載せられてない。他の一般部署に異動するまでは、所属職員はまるで幽霊扱いなのだ。収容委員会課の職員は、過激派に狙われることを警戒して、業務終了後その足で、同僚同士で飲み歩くことなどは厳に禁止されている。
 信也がここに所属する間、時折会っていたのは仲橋広美だけだった。

 一年の任期が明けて一般部署に配属されてから、三三歳の夏、信也は五歳下の広美と結婚した。その広美が信也の夢を応援するようになったのだ。
 信也は、S大学時代に文学愛好会に所属していたことがある。小説家を目指している若干一名のリーダー以外は、ほとんど活動らしいことはしていないクラブだったが、仲間達とは文学について語ると云う口実で、よく飲みに行ったり麻雀をした。実は自分も小説家になりたいと思っていたことがあるし、今もそれが夢だと、三年前に広美に語ったのが切欠だった。地方公務員の仕事がイヤになって、逃避の気持ちが信也にそう言わせたのだが、それを広美は本気にした。
 不思議なことに、信也がやる気を無くしてからは、県庁の同僚の中にも友人が増えて行った。定時に終わることが多い職場では、業務終了後のお酒は実に楽しいものだ。上司と部下の悪口を肴にビールや焼酎を飲んだ。夏と冬のボーナスが出た日は、その行き先が安い飲み屋から風俗街へと変更されることもあった。
 飲みに行かない日は、妻の広美のおだてに乗せられて小説のようなものを書く。
 広美は結婚してからも県庁勤務を続けていた。実の所広美は、定時で帰宅してだらしなくリビングで寝転ぶ夫を見るのがいやだった。自分が夕食の支度をする間、パソコンの前で仕事をする夫を見たかったのだ。

 そんな風にして二〇〇一年、三五歳から始まった信也の創作活動だが、始めは中々困難なものだった。
 仕事で書く事務文書と文学的表現は全く別物だった。ストーリィのアイデアは幾つも閃いたが、そのどれもが、原稿用紙にして十数枚程度で進行が止まってしまうのだ。問題は小説というジャンルの文章力だった。自分の文章を読み返すと、続きを書こうとする信也の気力は萎えてしまう。
 一年経って書き掛けのタイトル数が二桁になった時、信也はそれにやっと気がつき、お気に入り作家の文章を模写することからやり直すことにした。
 次に、その作家の小説の一場面を繰り返し読んでから、お手本を見ないでタイプしてみる。
 文末処理の変化の難しさに気が付いた。
 次の時には、会話の場面の処理が気になった。
 ちょっとした変化の付け方が、簡単なようで始めはとても難しいことがわかった。
 ただ読んでいた時には気がつかなかったことが、そうした訓練をすることでわかっただけでも大きな収穫だった。しかしながら、信也にとってそれはかなり退屈で忍耐力の要る作業だった。

 二〇〇二年の晩秋か初冬のある日、信也は気晴らしにインターネット相互通信で遊んでみた。そしてチャットに嵌ってしまったのである。
(*チャット=インターネットで、主として文字による会話を楽しむシステム。パソコンに小型ムービーカメラをセットして、お互いの映像も交信できるビデオチャットもある)
 実体の見えないチャット仲間が次第に増えていった。チャットや掲示板で、人から聞く恋愛の話や様々な事件は、ばかばかしくもあり、おもしろいと思うこともままあった。
(*インターネット掲示板=BBSとも言う。リアルタイムの会話を楽しむチャットとは違い、スレッドと呼ぶ書き込みに対し、返事を書き込む形でコミュニケーションするもの)
 気が付いた時には、信也は相当に深入りしていた。
 二〇〇三年、三八歳になったばかりの秋には、自分自身がチャットの相手と恋に落ちていた。
 結局それは実ることなく終わったが、失恋の放心状態は一月ほど続いた。
 影で進行していた心の浮気について、広美は勿論知らなかったが、信也は心の中で妻に詫びた。詫びながらも、空虚な気持ちを癒すつもりで、信也は風俗関係をネットサーフィンした。
 ソープランド、ファッションヘルス、デリヘルなどのホームページには、その店のお勧めギャル達が、私を指名してと言わんばかりに微笑みかけている。男とは本当にしょうもない生き物である。
 しかしながら信也は、幸運なことに、ギャルの写真を見て行く内に新しいアイデアを思いついた。
 その年の暮れに、信也は一念発起したのだ……「今度こそ必ずこのストーリィで最後まで小説を書き上げる」

 「風俗の天使達」と云うタイトルを付した信也の処女作は、完成させることだけが目標だったが、とにかく半年近く掛けて出来上がった。★
  


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テーマ:ミステリ - ジャンル:小説・文学

オリジナル長編小説「ドロップ」第2回全35回
(前回のあらすじ)

 初めて部下を持ち張り切り過ぎた県庁職員信也は、部下の反発と上司の事なかれ主義により孤立し次第にやる気を無くしたが、妻広美の応援もあって暇な時間を使って大学の頃からの夢だった小説を書き始めた。
 いざ本格的に書き始めてみると、小説は企画書や通達文書などの事務的文書とは書き方が全く違っていて戸惑うことばかりだ。書き掛けの小説ばかりが増えて行き信也は漸くやり方を変えてみる。しかしながらそれは退屈窮まる作業だった。
 ある日気晴らしにやってみたチャットに嵌った信也は、そこで恋に落ち失恋するが、傷心を癒すべく風俗関係のネットサーフィンをする内に新しい小説のアイデアを思いついた。そして遂に処女作が完成したのだ…


※2004年9月から書き始め2005年1月に完成した4番目の作品です。
 原稿は1頁当り30字40行の1200字で作成し全175頁。大き目の活字の文庫本なら260ページ程度のミステリー長編小説です。1回当り5頁ずつ掲載予定。


++++++++++これより本編+++++++++++


 小説書きは一年近くブランクがあったが、その一年間ネットで遊んでいた時に、自分のHP(ホームページ)でチャット仲間との交遊録を書いていたことが役に立ったのだ。そのチャット日記はかなりの長編だったから、長い文章を書くことが以前ほど苦にならなくなっていた。
 小説の中身は、家出をして風俗業界で働くヒロイン夏樹が、業界のボスとの戦いを通じて、友情と愛を育てて行く痛快アクションロマンのドラマである。
 以前書きかけ小説で失敗したことのある、性愛描写もそこそこ書けたと信也は自負していた。
 テニスによる勝負の場面は、迫真のシーンを再現しようと力を入れたが、上滑りしているかも知れない。
 小説後半では、推理小説のような謎解きも盛り込んでみた。
 ラストシーンでは純愛を描いた。
 信也にとっては実験小説であり、それだけに愛着はあるが、人が読んでおもしろいかどうかについては、全くと言っていいほど自信を持てなかった。
 書き上がってA4のペーパーにプリントしたものは、千二百字で一六〇ページになった。四百字詰原稿用紙なら四五〇枚以上の長編だ。
 信也は、これを先ず、心の支援者である妻広美に読ませた。内心のどきどきを隠しながら……
 数日後、恐る恐る信也は感想を求めた。
 広美は信也の目を凝っと覗き込む。
 広美の身長は一六五位だが、この時はずっと大きく見えて、十センチは高い筈の信也が完全に見下ろされていた。
 信也は妻の言葉を、もらわれて来たばかりの仔猫のように怯えて待った。
「しんちゃん。これ応募してみない?」
「応募?」
 いきなり応募と聞いて信也は目を丸くした。
「初めてだから、高額賞金の付いた有名なものじゃなくてね」
 化粧すればそれなりの美人の筈だが、結婚してからの広美は以前の様にほぼノーメークに戻っていた。
 しかしながらこの時ばかりは、広美の目がきらきらと輝いて、魔性の光線を放っているように見えた。
 信也は思わず「うん」と答えた。
「カドカワの『野性時代』って云う月刊誌があるんだけどね。それに毎月応募できる『カドカワエンターテインメントNEXT賞』と云う公募があるのよ。知ってる?」
 言葉の数が多くなったせいで、聞いている内に、信也に掛かった魔法は少し解けた。
「いや、全然知らない」
 広美が文芸雑誌を読んでいるとは! 信也はむしろそっちの方に驚いた。
 信也自身は、文春の「オール読物」をたまに買って読むことがあるが、それ程熱心な読者ではなかった。
 信也の表情を見て、食いついてきたなと思ったようだ。広美は得意気に話し出した。
「賞金は無いんだけどね。応募作品は五ヶ月以内に読んでABCDEにランク分けして、DEランクを除く全作品にコメントシートを送付してくれるの。Aランクになれば出版してくれるらしいよ」
「ふうん。でも文学賞の応募なんてまだ早いだろ? 初めての小説なんだから、俺そんな自信無いよ」
「だろうけどさぁ 折角こんな長編を書いたんだから、プロにみてもらおうよ。ダメで元々でしょ?」
 広美はじれったそうにそう言った。
 信也は俯き加減に沈黙した。
「人に読んでもらう為に小説書くんじゃないの?」
「行く行くはね。それより広美の感想はどうなんだよ」
 先ずは小説の感想だろ……やっと信也は、本来の目的を思い出してそう訊いた。
 広美はどういう訳か口ごもった。
「うん……」
「何だよ」やっぱり出来が悪いのかと信也はがっかりした。
「おもしろいよ! ウソじゃなくて。……でもテニスのシーンが長過ぎて、そこは飽きちゃうかな。私、テニス詳しくないし」
「他は?」
 信也は、まあテニスについてはそんな感想だろうと予測していた。(その他の部分の出来について早く述べろ!)
「ヒロインの夏樹ちゃんは魅力的だと思う」
「そう?」
 少し考えてそう答えた広美に、やったぁと信也はほくそ笑んだ。だがその続きがあった……
「でも、風俗やってて、あんなに純粋な娘は居ないと思うけどね」
「そうかな。俺は居たらいいなと思うけど」
「だから、若い男が読めばもっとすんなり受け入れられるかもね」
「なんだ、女が読むとおもしろくないってこと?」
「そうじゃないって。おもしろいと思うから、応募してみたらって言ってるの。しんちゃん、私のことわかってないんじゃない?」
「ホントにおもしろいの? どこが良かった?」
「ラストについては急ぎ過ぎのような気がしないでもないけど、良かった。感動したよホント」
「ホント?」
「ホント! ほらこのページに応募要領載ってるから……頑張ってね、六月五日締めは過ぎたけど、七月五日締めならたっぷり余裕があるじゃない。で、次回作はすぐ書くの?」
 素直に喜んだ信也に対し、ここぞと広美は棚から「野性時代」を取り出して、折ったページを開いてから手渡した。
「さんきゅ。まあ、これに応募してから考えるよ」
「また読んであげるから、良いのを書きなさいよ」
 乗せ上手な奥さんに、信也はうんと頷いた。

 こうして信也は、初めての作品をメールで応募してみることにした。その結果が出るのは十二月になる。
 その翌日、応募手続きが済むと、次は自分で公募を見つけて応募しようという意欲が湧いて来た。
 信也はHPの検索で小説の公募を探すことにした。
 適当なものはすぐ見つかった。
 それは「小説家への道程」と云う、小説家志望の個人が管理人をしているホームページの中の「各種文学賞」と云うコンテンツである。
「各種文学賞」……一月から十二月まで応募できる文学賞の暦が、管理人のコメントと共に一覧表になっている。
 最後に随時募集の文学賞が記載されていて、妻の勧めた『カドカワエンターテインメントNEXT賞』も載っていた。
(六月末日、文春の「オール読物推理小説新人賞」……五十枚から百枚の短編か、でも今からだと三週間しかないし、却って短編は難しいかも知れない…………七月三一日締切、日本SF作家クラブ主催、徳間書店後援「日本SF新人賞」……三五〇乃至六百枚の長編、これも七週間ではちょっと無理か…………お、これか!)
 信也の目がきらりと輝いた。
 八月三一日締切、主催角川書店およびフジテレビ、「日本ホラー小説大賞」……
 短編賞=賞金二百万円、五十枚乃至百二十枚。
 長編賞=賞金三百万円、一二一枚乃至千二百枚。
 大賞=賞金五百万円、長編部門および短編部門応募作品から最優秀作品に与えられる……
 これなら今から八十日間ある。
 それだけあれば気球で世界一周することもできるし、進み具合によっては短編か長編かの選択もできるから柔軟性がある。そして高額賞金! 信也は胸がわくわくして来た。
 でも……自分にホラー小説が書けるだろうか?
 考えれば考えるほど難しく思えた。大体信也はホラー小説など読まないのだ。
「ダメで元々でしょ?」
 広美の夕べの言葉が蘇って来た。
 信也は自分以外に誰も居ない部屋で大きく頷いた。
 その夜から書き始めた信也の第二作は、驚くほどすらすらとペンが進んだ。
 第三章あたりで大きな書き直しをした以外は迷わなかった。
 第一作であれほど何度も書き直したことを思うと、まるで夢のようだった。
 愛着は第一作の方にあるが、第二作の方が完成度は高いだろうと自負した所で、信也は己をあざ笑った。
 利害関係の無い第三者の評価ならば意味はあるだろうが、ただの作家志望ごときが、自分自身で自作を評価してどうするんだ?
 信也は、妻以外の客観的評価の必要性を感じたが、同時に他人の評価はまだ怖かった。
 信也はこの小説に「殺しのバーチャルゲーム」と題した。
 推敲も含めて、たったの六十日間余りで完成させることができた。半年近く掛かった初作と比べてかなりの短縮である。
 枚数は三百、長編賞の規定に合致する。
 ワープロ原稿の場合は三十字四十行にして印字すること、と云う条件でプリントしてみると、丁度百ページになった。
 この紙束を、唯一の読者である広美に手渡した。
 今回は意外と少ないのねと云う顔をして、広美はそれを受け取った。
 その日は休みの土曜日で、週末纏めての洗濯も終わっていた。広美はその場で読み始め、すらすらと読み進んで行く。
 落ち着かない気分で信也はコーヒーを淹れる。
 広美は、コーヒーを飲みながらも原稿に目を落としたままだ。
 信也はその様子に手応えを感じた。
 自分で淹れたコーヒーがうまかった。
 広美が読み始めてから三時間が過ぎた。
 信也もその間、パソコンのディスプレーで同じものを読み返していた。
 そしてリビングから広美が呼び掛けた。
「読み終えたぁ!」
 その声を聞いた瞬間、信也は良い反応を確信した。
 予想通り、広美の感想は、妻の夫に対する気遣いを疑う必要が無いほどの賛美だった。
 妻の意見を取り入れ、タイトルは「黒い美学」と変えた。
 信也は翌日八月十五日の日曜日に、角川書店へEメールで応募した。
 自信はある、でも確信は持てない。
 応募してしまってから、またもや信也の頭の中で迷いが渦巻き始めた。やはり身内以外の客観的評価が必要だ。
 NEXT賞の結果は十二月、今日応募したホラー大賞は一年半後、最終候補作品が決まるのも一年位後だろう。ついこの前まで、小説を完成させることだけが目標だった男は、文学賞の受賞を切望し始めていた。果てしない欲望がむくむくと成長を始めた瞬間である。


  (…次章「足掛かり」へと続く…)



テーマ:ミステリ - ジャンル:小説・文学

オリジナル長編小説「ドロップ」第3回全35回
(前回までのあらすじ)

 信也が一時的に嵌ったチャットは、失恋のショックもあったが、チャット日記が良い練習になった。そしてそのショックで遊んでみた風俗系ネットサーフィンが、ストーリィのアイデアになって処女作品完成に繋がったのだから人生はおもしろい。
 妻広美は文学賞への応募を勧める。大それたことと思った信也だが、自分で次回作の応募先を調べて行く内にやる気がむくむくと湧いて来た。第2作は思いの外すらすらと書き進められ、我ながらおもしろいSFアクション小説が書けた。
 信也に大いなる野望が生れたのだ。


++++++++++これより本編+++++++++++




     二 足掛かり

 大手出版社「太平洋書店」に勤める町村博信は、友人の竜野信也から久し振りの電話を受けた。町村は月間文芸誌『交差点』の編集者である。
 竜野は、町村から文学賞選考の情報を得ようとして電話したのだ。例えば「交差点新人賞」などの具体的な選考方法である。
 実は竜野は、町村が太平洋書店に勤めていることは知っていたが、まさか『交差点』の編集者をしているとは思っていなかった。ただ手掛かりを得ようとしていただけなのだ。
 しかし、その友人町村が、まさしく新人賞応募作品の一部を下読みして、一次選考の前段階を分担していると知った途端、週末に会えないかと半ば強引に酒を誘っていた。
 そこまでの意図を知らない町村は、竜野と会う事にした。
 何しろ二人はS大学の同期生だから、久し振りに会いたいと言われれば、断る理由は無い。文学賞選考の話題などは、酒を誘う為の竜野の口実だろうと、町村は勝手に思い込んでいた。
 金曜日の夜に、東京駅から有楽町駅までのガード下にある、どこかの飲食店で飲もうということになった。

 二人が待ち合わせたのは、東京駅丸の内南口。
 改札を出たところが円形広場になっていて、そのドーム天井にはたくさんの窓が取り付けられている。
 それは明り取りの窓などでは無く、窓の外は、東京ステーションホテルの客室の中なのだ。客室側から見れば円形広場は中庭みたいなものだろう。
 この客室で、締切前に缶詰にされて、眼下に行き交う旅客を見詰めながら、想像を膨らましたり、気分転換したりして、執筆に専念した有名作家達が過去には数多く居たと云う。
 ドーム天井を見上げていた竜野が、改札口に目をやると、丁度町村が改札口を出て来る所だった。竜野の腕時計は午後七時五分過ぎを指している。
 竜野が手を振ると町村も直ぐ気付いた。町村は振り返した手を左に指して合図した。
 二人は「はとバス」の予約カウンターを右手に見て、細い通路から山手線内側線路沿いの歩道に出た。
 夜の東京観光の「はとバス」が数台停まっている。
 おそらく、有名レストランとニューハーフショーを組み合わせた、第二回か、第三回目のコースだろう。
 その夜のツアー客は、中高年のカップルと家族連れが多かった。ファミリィ客の多くは地方から来ているのだろう。無論、家族連れと云っても未成年に見える者は居ない。
 いかにも楽しそうなその団体に、お気楽なもんだとばかり町村が強い視線を送る。目が合ったカップルの男と一瞬睨み合いになる。竜野は、まあ良いじゃないかと言った。男は視線を逸らせた。
 細長い体とがっちりした肉体が対照的な、二人の後姿を見送りながら男は殴るまねをした。よく見れば優しげな目をしていて、可愛いと言えない事もない町村だが、ぱっと見で彼は男に対し鬼瓦の様な印象を与えたのかも知れない。振り向いた竜野は男の仕草に気付いて微笑んだ。竜野は町村の優しさをよく知っていたが、彼を本気で怒らせたりしたらきっと怖いだろうなと内心思った。
 はとバス停留所の先辺りからは、数軒の飲食店が歩道左側に並んでいる。この線路下の店々は、どこも丸の内のサラリーマン達でにぎわっていた。
 その先の信号を渡っただけで、有楽町駅が近いせいか、若いカップル達が一挙に増えて来る。
 三十代後半の男二人は、カップル中心の店を避けてビアホールを目指した。
 この夏は例年に増して暑く、生ビールを求める客は多かった筈だが、タイミングが良かった。丁度十数人の団体が二次会に流れる為に席を立った所で、席待ちの列は一掃され二人は直ぐテーブルに着くことができた。
 店内は、あちこちで話に花が咲き、弾ける様な笑い声が響いている。
「俺な、この前初めて作品投稿したのさ」
 一杯目のジョッキをうまそうに飲み干した後で、竜野は用件の前触れに入った。
 町村もそれを予想しなかった訳ではなかった。素人小説家はどこにでもいるものだ……でも、待てよ竜野が小説? 本気か? 町村は学生時代を思い出して呆れた。
 町村は、掠れ気味の声を出した。
「小説? お前いつからそんなもの書いてるんだ? 文学愛好会でもお前ら遊んでばかりいたくせに」
 それを町村から言われると、竜野も少し弱気になった。
「そうだったなあの頃は……活動は会長の町村に任せっ切りで、俺なんかアガサ・クリスティを読んでただけだったさ。俺が小説のようなものを書き始めたのは、そう、三年位前になるかな……初めて最後まで書き上げたのはこの六月だ」
 だろうと頷いてから、ふうんと言って、つまみに箸をやりながら町村は訊いた。
「ほお、それをどこに出した?」
「角川書店の『エンタテインメントNEXT賞』ってやつ」
 初めて投稿するのなら妥当な所だろう。町村はそう思って微笑した。
「ああ、あれかぁ。今は五ヵ月後っていう話だから、十一月頃には結果が出るんだな。それは楽しみじゃないか」
「投稿は七月締めになったから結果は十二月かな。続いて第二作に取り掛かって、それもつい先日完成したよ。それは同じ角川の『ホラー小説大賞』に応募した」
 第二作目でそんな有名な賞に応募するとは身の程知らずな奴。町村は竜野の目を覗き込み、真意を測ろうとする。
 竜野もその反応の意味する所を感じていた。
「あれは、賞金高いし難関だぞ。大丈夫か?」
「まあ、だめで元々。今は書くことが楽しいし」
 竜野は妻が自分に言った言葉を使った。
 町村はそのセリフをチャンスと見て機先を制する。
「そうか安心したよ。趣味だったら俺は何も言わん。いくらでも投稿しろ。プロを目指すっていうなら俺は反対するけど」
「どうして?」
 友達なら応援しないまでも反対なんかするな、竜野は不満を抑えられなかった。
「甘い世界じゃないからさ」
 町村は竜野の不満顔をちらと見やってから、目を横に逸らせ自分に言い聞かせるように言った。
「だろうけどな…………ああそう言えば、町村。お前も作家志望だったよな?」
 今度は竜野が町村の表情を探る番だ。竜野は町村を見詰めた。
 町村は少し嫌な顔をする。
「あれは、とうに諦めた」
「どうして?」
「だから、甘い世界じゃないからさ」
 先程と同じフレーズを町村は吐き捨てた。
「諦めが早いんだな?」
 半分になった二杯目のジョッキを、一気に飲み干してから竜野はそう呟いた。視線は町村から逸らしている。
 町村は腹を立てた。人から言われて、自分でもそう思った。その胸中には、まだいくらかの未練があったのだ。
 町村も残りをぐいと飲み干して、空になったジョッキをテーブルにどんと置いた。隣のテーブルに居た若い男が音に驚いて振り返ったが、直ぐ何事も無かったかのように顔を正面に戻した。
「お前に何がわかる?」
 鬼瓦の様な顔をさらに厳つくして、町村は、向かいに座る優男を睨みつける。
「俺には何もわからないさ」
 竜野はやんわりと、その強い視線を受け止めた。
「わからないなら、俺のことは放っておいてもらおうか。所で竜野、今日は俺に何か用があったのか?」
「まあ、怒るな。お前にちょっとな、文学賞の選考方法についてレクチャーしてもらおうかと思ってな」
 竜野は微笑して本題に入った。
 町村は怒りが一気に醒めて目を見開いた。
「お前、本気か?」
「うん。マジ」
「まあ、止めた方が良いとは思うが、知っていることは教えるよ」
 町村は諦めたようにそう言った。
 竜野はにやりとする。
「それにしても、太平洋書店でお前が『交差点』の編集者をしていたとは驚いたぜ」
「『交差点』の編集者になってもう十年になる。元々俺は文芸誌を希望していたからな」
「作家志望だったなら、文芸誌を希望するよな、やっぱり。そこで是非、文芸誌の編集者殿にお訊きしたい。お前の所の新人賞の場合、どうやって選考するの?」
「お前、俺の所に応募するつもりなのか?」
 町村はどうどうとそう訊ねる竜野に呆れた。
「まあ、行く行くは大手出版社の有名な文学賞は全部応募しようかなってな」
 つまみをぽりぽりとやりながら、竜野は上目遣いで町村を見る。
 何だ、こいつやる気満々じゃないか……町村はさあ困ったという顔をして見せた。
「俺が担当者の間は、お前の作品は選べないぞ。もし出来が良かったとしてもな」
「どうして?」
「こうやって、賞のことでお前と会った以上、利害関係者になってしまったからだ」
「どうして利害関係者になるんだ?」
「俺は、新人賞その他の、一次選考の前段階で下読みを担当しているからだ。まあ全部じゃないけどな。俺の所に回ってきたら、黙って落すしか無い。他の担当者に回す手もあるんだろうけど、その理由を話せば返って選考に影響を与えることになる。だから、俺以外の者に初めの下読みが当たることを祈るしかない」
「そういうことか」竜野は少し肩を落す。
「そういうことだ」町村はにっこりと笑った。
「じゃあわかった、お前の所には投稿しないから、選考過程の裏側を教えてくれ」
「裏なんて別にないぞ」
「本当?」
 疑わし気な竜野の目を見て、諦めたように町村は話し出した。
「大体な、うちの新人賞の場合は、上限百二十枚の短編作品募集に対して、例年応募作が六百ほど来る」
「うん」竜野は素直に頷く。
「選考委員は中堅どころの小説家五名だ」
 町村は五本の指を立てて見せた。
「うん」
「先生方に読んでもらうのは、候補作品十点だ」
「他の五九〇はどうなる?」
「俺達、各選考委員担当の五人の編集者で下読みを分担して、先ず二十作に絞る。五人で六百作だから、一人当たり百二十の下読みをすることになる。明らかな駄作も多いから、俺の場合は最初の十枚を読んだだけで百作はボツにする。残った二十作を最後まで読んで、その内四作に絞る訳だ。一人四作で五人で二十作品になるな」
「ふむふむ」
「この二十作品は、各編集者の感想を付けて編集者会議で検討する。そこで候補作品十点に絞り込まれるって訳だ」
「なるほど。選考委員の目に触れる応募作品は、その十作品だけなのか……」
 編集者の下読み段階で、投稿作品が引っ掛かるかどうかが重要なのかと考えて、竜野はうーんと唸った。
 竜野はあまり編集者の力量を信じていなかった。
「そういうこと」
 竜野が凹んでいる様子を見て町村は気分が良くなった。
 素人の自信過剰は困ったものだ……普段からそういう人たちに町村は悩まされていた。
「編集者がその十作品に絞るポイントはどういう所なんだ?」
「文章の基本に大きく外れていないこと。気になる所、どこかに作品の魅力が強く感じられるものかな」
「その作品の魅力というのは?」
「先ず、テーマ自体の魅力と、そのテーマが十分掘り下げられているかどうかだな。他には、目新しい文体とか、斬新な表現方法を持っている場合は大いに気になるね。文章がうまいかどうかは勿論重要だが、それよりも、登場人物が魅力的に描かれているか、ストーリィに新規性があるかどうかなどの方が重要視される」
「なるほど」
 ポイントを突いているなと竜野は感心した。★


テーマ:ミステリ - ジャンル:小説・文学

オリジナル長編小説「ドロップ」第4回全35回
(前回までのあらすじ)

 県庁ではぐれ者となった竜野信也は妻広美の応援によって作家への道を歩み始め、自信作を書き上げると大学時代の友人で大手出版社「太平洋書店」に勤める町村博信を訊ねる。町村は月間文芸誌『交差点』の編集者である。
 甘くないからプロ作家を目指すなど辞めろと親友は忠告するが、信也は文学賞選考の裏側を聴き出す。その裏事情には特に変わったものはなかったが、今の信也にとっては興味深いものだった。


++++++++++これより本編+++++++++++



 編集者はやはり専門家だなと、竜野は町村の言葉を聴いて見直した。
「詰まる所、その作家の次の作品を読んでみたいかどうかだな。高額賞金の付いている賞は、その作品自体の魅力が重要で、次の作品という期待は余り関係無いが、新人賞については、その作家がどう変貌するかまで含めて見ている」
「それなら良くわかる」竜野はうんうんと相槌を打つ。
「作家志望は、掃いて捨てるほどいるんだから、あまり夢を追わない方が身の為だ」
「じゃあ町村、俺の作品を見てくれないか?」
 町村をプロと認めて、竜野はそう頼んだ。
 他人の客観的評価、それも力量のある人の評価を訊きたい……改めて竜野はそう思っていた。
 町村は当然ながら自分をプロとして自負している。
 良き編集者は良き作家を育てる……町村はそう信じていた。作家志望を諦めることができたのも、そう考えられるようになったからだった。
「応募済の作品は読みたくないな」
 それは、プロとしてのプライドが言わせた言葉だった。
「どうしてそれを読みたくないのか、俺には良くわからないが、まあいいさ。じゃあ俺のホームページにある作品をちょっと見てくれないか」
 こう言って、竜野は名刺を差し出した。役所の名刺ではなく、個人として遊びに使う名刺だ。
 カードにはホームページのURLとEメールアドレスが記載されていた。
 町村はそれを受け取ってふんと笑った。良くある反応に竜野は苦笑いする。
「ここにお前の小説を載せているのか?」
「『インターネットの人々』と云うチャット日記と、書き掛けの小説を二点ほど載せている」
「じゃあ、一応読んではみるが、見込みが無いと俺が思ったらお前には連絡はしないぞ。それでいいか?」
「ある程度見込みがあると思ったら、その時は必ずメールをくれ」
「OK」
 二人は三杯目を空けた所で、その場で別れた。
 町村はこの後寄る所があるらしい。編集者もさほど楽じゃなさそうだ。
 竜野は、銀座方向へ向かう町村の後姿を暫く見送ってから、踵を返し東京駅に向かった。

 町村は翌日の土曜日が休みだった……
 忘れない内に見ておいてやるか。そう思って彼は、自宅のパソコンのインターネット・エクスプローラを立ち上げた。
 友人の竜野のホームページは、「房総の風と、暴走の人」と云うタイトルで、表紙のページには女優、藤川夏生の写真も掲載されていた。それを見た町村は冷ややかに笑った。面倒臭い奴だと云う思いが湧き上がる。
 早く済まそうと考えた町村は「小説のページ」をクリックした。不気味な絵と、デザイン文字のタイトルが現れる。
 タイトルは三つ。
 一つ目は「インターネットの人々」……竜野から聞いていたとおり、日記風のノンフィクション小説でだらだらと長い文章。
 二つ目は「暴走の風」と云うタイトルの旅行記のようなもので、五千字程度の分量があった。
 最初の千字で町村はそれを投げ出した。
 三つ目も、二つ目と同じ位の長さだったが、町村は妙にそれに惹かれた。
 タイトルは「ホテル新宿最上階特別室」……町村はそれをダウンロードした。

    ++++++++++++++++++++++


     「ホテル新宿最上階特別室」

    プロローグ

 新宿二丁目歓楽街、そこをさらに新大久保方面に進むと、ラブホテルが立ち並ぶ一帯に出る。日中の色褪せた建物群は、日が落ちるに連れて徐々に輝きを増し、遂には妖しい光線を放ち、集蛾灯のように老若男女のカップルを引き寄せる。
 その一角に、一際妖し気で奇妙な色の光線を放つ存在がある。外見はありふれた感じの建物なのだが、その強烈な光源は建物上部にあるらしい。
 ビルは外見以上に平凡な「ホテル新宿」という名前で呼ばれていたが、ここの最上階特別室が評判になり、業界紙や風俗雑誌などから始まって、スポーツ新聞、一般雑誌、ラジオさらにはTVの情報番組等でも再三再四とりあげられるようになった。

 夕刊新聞「日刊キンダイ」誌の猪瀬記者は、このホテルの経営者があのE氏であることを突き止め、遂にE氏との独占インタビューに成功した。 

『今話題のラブホテル「ホテル新宿」に記者が潜入してきた。
 新宿二丁目の噂のホテルは、十二、三階建ての高さのあるビルで、ほぼ中央付近で上部が黒、下部が白のツートンカラーに塗り分けされている。日のまだ明るい内に行けば、遠目にもすぐそれとわかるだろう。
 このホテルの最上階は特別室と呼ばれ、利用するには予約を要し、現在は一ヶ月先まで予約が一杯になっていると言う。
 記者はこの噂の最上階特別室に潜入した。インタビューのための入室ではあるが、この部屋の雰囲気がまさしく潜入したような気分にさせるのである。照明は一部屋のものとしては十分の筈なのだが、大きな部屋の中央部だけを照らしているので、黒い空間のスポットライトの中にいる感じなのだ。この妖しい空間で対談する相手が、あの経営者E氏である。以下はその模様である。

記者「あの江守さん。NHK大河ドラマで何度か主演されているほどの大俳優のあなたが、何故いまさらラブホテルの経営に乗り出したのですか?」
江守徹夜氏「うむ、確かに僕は数々のドラマで様々な役を演じて来た。大河もその中の一つだ。ううん、なんというか、そうさな、僕の興味の方向が、作られたドラマから本当の人生ドラマの方へと変わって来たと言えばいいのかな……」
 江守氏は小首を傾げながらバリトンの声を響かせる。舞台やナレーションで鍛えた発声は聞く者を魅了するに十分である。
記「といいますと?」
江「うむ。僕の作りたかったのはホテルと言う施設ではなく、この部屋で演じられる本当の人生ドラマなんだ」
記「ラブホテルの経営は、営利目的ではないということですか?」
江「その通り!」
記「ではなぜラブホテルを経営してるのですか? 今このホテルはすごい評判じゃないですか?」
江「実はこの特別室を維持する為に必要な経営なんだよ」
記「なるほど、この部屋、めちゃめちゃ広いし、床も壁も真っ黒で調度品までオールブラック。しかもどれもかなりの高級品のようだ。それにしても天井の広がりがものすごいですね!」
江「うん、四百平米ある。ガラス天井も全く同じ大きさだよ」
記「ガラス天井のアイデアは本当に面白いと思いますが、透明な天井だと周辺の高層ビルから部屋の中を覗かれる心配はないのでしょうか?」
江「外から見て気がつかなかったかね? 建物の上半分に当たる黒い外壁部分が全部この七階の部屋なのだよ。大体六階分位あったろう? 部屋が広くて少しわかりにくいだろうが、この壁は床から天井まで二十Mあるんだ。つまり、この部屋は一辺二十Mの立方体という訳だ。君ぃ、ほらほら、よぉく上を見てごらん。ビルなんて一つも見えないだろう? こちらからなにも見えないということは、どこからもこちらが見えないということだ。近くの高層ビルから見下ろしたとしても、部屋の内壁の上部が見えるだけだろうな。どうしても覗きたいと言うなら、あの大ガラス天井の上に直接登るしかないなぁ、そうだろ? あっはっはっはっ」
 江守氏は上機嫌でそう語った。
記「なるほど! それはすごい!」
江「よく晴れた夜にこの部屋の照明を全部消すとな、あの広い天井一杯に星がきらめくのだよ。プラネタリウムのようなものかな。但し、見えるのは本物の星だ。また、月の無い曇天の夜は漆黒の闇になる。これが僕の望んだ究極の舞台装置だよ、わかるかね君? まぁ、新宿の街明かりが低い雲に反射して、完全な闇にならんこともあるのが癪の種だがね、はっはっはっはっはっは」
 さらに満足気に江守氏は目を薄めに閉じて、ゆったりとした手振りを交えながら深いトーンの声で話す。
 見上げると、なるほど既に日が落ちて、ぽつぽつと星が見え始めている。インタビューが終る頃には一面の星空が見えるかも知れないなとふと思った。
記「このガラスだけでも、相当の費用がかかっていそうですね?」
江「まあガラスでは耐久性の問題もあって、アクリルを使っているが、透明度はガラス以上だ。最新の技術でシームレス加工してあるから、まるで一枚ガラスのようだろう? アクリルは二重で、外側が汚れて透明度が落ちたら、定期的に交換できるように工夫してある。まあ、特殊コーティングで汚れは付き難いから、月一回のクリーニングで透明度は十分維持できるがのぉ。はっはっはっはっ」
 同じように笑っていても、もうどことなくつまらなそうに江守氏の口調が変わって来た。
記「この部屋の建築費は一体どの位かかってるんですか?」
江「それは君ぃ企業秘密だ。はっはっはっはっ」
記「ではこの部屋の利用料金はいくらでしょう?」
江「それはできるだけ安く抑えている、一泊二十万円だ」
記「ううん、それでも相当高いですね」
江「この値段はコスト計算したものではなく、人生ドラマ最高の舞台装置としての、最低貸し出し価格だよ、君」
記「私でも利用させてもらえますか?」
江「電話か、手紙で予約してくれたまえ。希望日の一ヶ月前から受けつけておる。抽選になることが多いがなあ、ふっふっふ」
記「抽選はどういう方法で?」
江「それも企業秘密さ、ふっふっふ」
記「ではここは、幻の部屋ということになりますか?」
江「うむ、それもあってな、ここのミニチュアタイプの部屋をいくつか別に用意してあるのだよ。どうも巷で噂になっているのは、そっちのタイプの部屋のようだな。はっはっはっはっ」
記「そのミニチュアタイプの方は、どのような仕様になっているのですか?」
江「それは君が利用して、自分の目で直接確かめるといい」
記「はぁ恐れ入ります。で、この部屋を利用すると、どうして最高の人生ドラマが演じられると思われるのですか?」
江「君ぃ、その位の感性が無くてどうするんだ! 自分で想像したまえ!」
記「恐れ入ります」
江「まぁ今日はこの位で! 忙しいからね僕も」と、さも退屈だと言わんばかりに、江守氏はこの会談を一方的に打ち切った。
記「今日はありがとうございました」

 残念ながら、あっさり会見が終ってしまったので、一面の星空はお預けになってしまったようだ。さて、このインタビュー後、記者は自分の彼女を呼び出して、ミニチュアタイプの部屋を突撃レポートしてみた。もちろん取材だから会社持ちだ。
 ミニチュアタイプの一つに潜入してみると、広さは普通のラブホの大き目の部屋くらい。床と壁は真っ黒で、調度品もそれ程上等ではないが同じく黒で統一されていた。天井はプラネタリウムのようだ。真っ黒な天井に、星がところどころ点滅している。全体に凝った部屋作りで、灯りを落とすと真っ暗闇を作り出せるが、それ自体は窓を塞いであるので特に不思議は無い。
 確かにこのミニチュアタイプの部屋も、非常にロマンチックで魅力的な部屋である。遊んでみて損の無い、いやいや、きっとこの部屋のムードがあなたの彼女を情熱的に燃え上がらせることだろう。しかしながら、最上階の特別室とは似て非なるものである。そのことだけは、付け加えておきたい』

   一 E氏の息子

 江守氏には二五歳の長男がいる。その暗夜(あんや)氏もキャリア五年の舞台俳優であるが、知名度はまだまだ低い。★ 江守氏には二五歳の長男がいる。その暗夜(あんや)氏もキャリア五年の舞台俳優であるが、知名度はまだまだ低い。★




テーマ:ミステリ - ジャンル:小説・文学

オリジナル長編小説「ドロップ」第5回全35回
(前回までのあらすじ)
 自作をプロの目から観て評価して欲しいと竜野信也は文芸誌「交差点」の主席編集者町村博信に頼んだが、親友はそれを断った。信也は暇な時に自作を載せているホームページを見て欲しいと手製の名刺を手渡した。
 町村は竜野と会った翌日土曜日にいやいや信也のHPを見たが、そこに掲載された書き掛け小説「ホテル新宿最上階特別室」に興味を持った。町村はそれをダウンロードした。
 以下「ホテル新宿最上階特別室」 を途中まで掲載。


++++++++++これより本編+++++++++++



   一 E氏の息子

 江守氏には二五歳の長男がいる。その暗夜(あんや)氏もキャリア五年の舞台俳優であるが、知名度はまだまだ低い。★父の徹夜を超える俳優が目標ではあるが、その目標に近づいているとは言い難い。所属劇団でも一介の脇役俳優に過ぎない。父の威光をもってすれば、もっともっと好い役どころをつかむことは可能だろうが、その演技力、表現力は、親の贔屓目で見てもごく平凡で、父からも将来を悲観されている。
 暗夜が時折父からもらうのは、「お前、本当の人生ドラマってのは、頭の中で考えてるものとは全く違う物だぞ、もっと人生修行をしたらどうだ?」決まってこの言葉だった。

 ある日暗夜に、父から意外な命令が下った。
「お前、今建設してる例のホテルだがな、あのホテルの支配人をやってくれないか?」
「え!お父さん、ボクに俳優辞めろって言うんですか?」
「いや、本当の役者になるための人生修行だと思って、少し回り道してみろと私は言ってるんだ、お前のためだよ」
「はあ……」
 暗夜は考え込んでしまった。父は自分を見捨てたのだろうか? 自分に演技の才能が乏しいことは自覚しているけれど、もう少しで何かを掴めそうな気がしているのに。それさえ掴めば、飛躍できる筈なのだ。しかし、父の命令に逆らうほどの勇気もない。
『回り道か……これまでもずっと回り道してきたのに、このまま回り道していたら、目的地にたどり着くどころか、一層遠く離れてしまいそうだ……』
 そう心の中で呟いたが、父には
「はい、わかりました」
 と答えた。
「うむ!この回り道が意外と近道かもしれんぞ、ふっふっふっ」
 父は機嫌よく頷いて部屋を出ていった。
  ・・・・・(以下略)・・・・・

    ++++++++++++++++++++++


 町村はそれをプリントアウトした。
 文章は未完成だが、いわゆる箱物小説として舞台設定がおもしろい……そう思ったのだ。







     三 スランプ

 町村博信は金曜日の夜、竜野信也と別れてから、銀座のクラブで担当作家の接待をした。
 小説家貝原洋は、十年前の一九九四年四十歳の時に、太平洋書店の、「交差点新人賞」と「交差点推理新人賞」を連続受賞して脚光を浴び、その後ヒット作を連発して一躍人気作家になった。
 貝原は、町村が文芸誌「交差点」に移って、編集者として初めて担当した作家でもある。
 貝原はこの一、二年ほどスランプが続き、幾つかの小説賞の選考委員を勤めてはいるが、自身の作品は全く発表していない。
 町村は担当編集者として、貝原の創作活動復活を目指して、作品のアイデア探しとか、彼の気分転換の為に動いていた。金曜日の夜もその一環だった。
 その夜の貝原の酒は一段とたちが悪かった。
 酒の勢いで、両側に侍らせたホステスの胸と、足の付け根付近にまで手を伸ばした。
 貝原は百八十もある長身で肩幅もある。そんな大男が、無遠慮に内腿をまさぐろうとすると、新人のホステスは、それを上手にいなす事もできず、大きな声を上げてその席を逃げ出した。
 そのクラブはそんなことが許される低レベルの店ではない。
 町村は、貫禄のある和服美人の手招きで店の奥へと移動した。
「ちょっと、町村さん、困るわよ。もう貝原先生は連れて来ないでとこの前頼んだでしょう」
「ママ、ごめん。止める暇も無くて」
 町村は掠れ気味の声を出した。
「町村さんには悪いけどね、貝原先生はもうダメなんじゃないかしら。楽しいお酒を飲めないならやっぱりお出入り禁止よ」
 ママの態度は毅然としている。
 今日の売上より、店の信用を大切にしていた。それが一流クラブの証でもあった。
 町村もそれ位は心得てはいた……
「ママ、そう言わないでよ。俺だって辛いんだからさ。先生は本当にここがお気に入りなんだ」
「ダメよ。もう二度と連れて来ないで。うちの娘達は口は固い方だけど、他の店に移って行く娘の口止めはできないもの。お客様の悪口を外で言わないのがウチのモットーだけど、あんなではとても守って上げられないわ。貝原先生のあの様子だと、どの高級クラブでも断られるわよ」
「もう他でも断られてるよ」町村は目を伏せた。
「次からは、おさわりOKの所へ連れて行きなさいな。その方があなたの為よ」
「うん。もうここへは連れて来ないよ」
「悪く思わないでね」
 ママは肩を落す町村の背中をさすった。
 町村は、笑顔を作り直して席に戻ると、
「先生、もう一軒行きましょう。ここよりは品が落ちますが、先日見つけたおもしろい店があるので紹介しますよ」と言って、半ば強引に貝原を連れ出した。
 酔いが回っていた貝原は、背中を押すと抵抗することも無く前へ進んだ。
 ママが町村の耳元へ口を寄せ、「今日のお代は結構よ。また別の先生を紹介してね」と囁く。
 町村は何も言えず曖昧に笑った。
 その夜は少し下品な店を一軒ハシゴしてから、タクシーで貝原の自宅を経由して帰宅した。その時、町村の腕時計は深夜の二時過ぎを指していた。

 貝原の気分転換に対して、高級クラブ遊びは時間と金のムダだ。寧ろ先生の自信を砕くだけだと町村は悟った。
 やはり、強引にでもペンを持たさなければならない。
(その為には……)
 町村はそこで頭を左右に振った。
(いや、もうゴメンだ)
 貝原の為に書く気は疾うに失せていた。
 書けなければ消えて行けばいい。元々そういう世界なのだから。
 町村はそれ以上考えることを止めて、ベッドの上で一人目を閉じた。今年三九歳になる町村はいまだ独身なのだ。

 翌朝土曜日、町村が目を覚ましたのはもう昼に近かった。
 酒が抜けて、気分が良くなったのは午後三時過ぎ。
 夕べの竜野との約束を思い出した町村は、気分転換する意味合いもあって、竜野のホームページを見に行ったのだ。
 ダウンロードしたテキストファイルを、MSワードで三十字、四十行に修正してからプリントアウトする。そしてそれを角封筒に詰め、宅配便の伝票を作ってから、町村は配送会社に電話した。宛先は貝原洋の自宅だった。




     四 復活

 翌週、八月二八日。
 町村は前の晩の金曜日を休肝日にしたおかげで、久し振りにすっきりと週末の朝を迎え、竜野にEメールするためにパソコンデスクに向かっていた。
「お前のHPにある小説を読ませてもらったよ。
 あのアイデアは悪くない。
 ただ率直に言って文章がまだなってないな。
 まああれが一年前の小説なら、最近の作品は大分良くなっていることだろうと思う。
 お前さえ良ければあの続きを書いてみないか?」
 ここまで書いた所で電話が鳴った。
 町村は五回目のコールで電話を取る。貝原からだった。

 その夜、町村は竜野に明日会えないかと電話した。朝書き掛けのメールはまだ出していなかった。

 竜野は稲毛行きのバスの中で、町村がわざわざ稲毛まで出て来る用事とは何だろうと考えていた。
 町村は会って話したいことがある、用件については今訊かないでくれと言っていた……

 稲毛駅東口に隣接する、コーヒーショップの奥側隅っこの席に、町村は浮かない顔で座っていた。
 店内は淡いグリーン系の色で統一されていて、客がそれ程多くないせいかゆったりした雰囲気だ。
 日曜日の午前十時と云う待ち合わせは、町村にとっては楽じゃないだろう。休みだというのに、恐らく平日と同じ様に早朝に起きて出かけて来たに違いない。
 妙な緊張感に包まれながら竜野はその席に着いた。
 隣席は空いていたが、町村は小声で、急で悪かったなと竜野に声を掛けた。
 いいさと竜野は答える。
「お前のHP見たよ」
 町村はぼそりと掠れ気味の声で言った。
 竜野の顔がほころぶ。
「この前俺が頼んだ話か? だったら俺が東京まで行ったし、メールでも良かったのに……わざわざすまんな」
 丁度店員がオーダーを取りに来たので、竜野はモカのSサイズを注文した。
 町村は店員が下がるのを待って話し出した。
「いや、竜野の小説に関係はあるが……いや大有りだが……ちょっと意外な方向へ事態が進んでしまったんだ……」
 町村は周囲を気にしながら一層小声になった。
 その表情は浮かないと云うよりも無表情に近かった。
「何かわからんが、言いにくそうだな」
「そうなんだ。ちょっと言い難い。竜野、お前俺の頼みを聞いてくれるか?」
 頼み事をする町村は初めてだ、竜野は驚いたが、少し嬉しくもあった。
「どんな話だ? 話によっては勿論聞くさ。親友じゃないか」
「そう言ってくれると助かる」
「話によるとも俺は言ったぞ」
 竜野は一応そう注意したが、その目は笑っていた。
 町村が少しほっとしたように見えた。
「ああ 勿論そうだろう」
「話してみろよ、町村」
「うん。順を追って話すよ」
 町村は少し冷めたコーヒーを飲み干し、さらにコップの水をぐいと飲み込んでから目の前の男を見詰めた。
「俺はお前のHPを見た」
「それはさっき聞いたよ」
「『インターネットの人々』だっけ、あのチャット日記は実話なのか?」
 町村は本件に入る前に少し寄り道した。そのことは竜野にもわかった。
「勿論実話だよ。知らない人が読んでもおもしろくないだろうが、チャット仲間はおもしろいと言ってくれた」
「そうだろう。俺もちょっと読んだだけでは、入って行けなかったんだが、夕べ読み返してみたら、所々おもしろいエピソードがあるな」
「うん。でもお前の用件はそれじゃないだろう?」
 竜野はそう言って町村を促した。
 町村はふっと苦笑いする。
「わかるか……『ホテル新宿最上階特別室』の方だ。俺が興味を持ったのは」
「あれを読んでくれたのか。俺も見てもらいたかったのはそれなんだ」★


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オリジナル長編小説「ドロップ」第6回全35回
オリジナル長編小説「ドロップ」全35回連載第6回

★前回までのあらすじ★

 大学時代の友人竜野信也から自作小説を読んでみてくれないかと頼まれた、文芸誌「交差点」の主席編集者町村博信は、渋々ながら信也のホームページ上にある書き掛け小説「ホテル新宿最上階特別室」を読んでみた。舞台設定に興味をもった町村はそれをプリントアウトした。
 町村が担当する人気作家貝原洋はスランプで新作が書けず荒んでいた。ホステスへのおさわりで行きつけの高級クラブから締め出しされる始末で、町村も貝原のお守りに疲れて果てていた。
 町村は信也の小説プリントを貝原に観てもらう為、あるいはスランプのプロ作家へ刺激を与える為に送付した。
 信也は町村からの電話で日曜日の朝JR稲毛駅に呼び出された。東京からわざわざ千葉まで出て来る話とは何か…町村は信也の小説の話で頼みたいことがあると言う。


++++++++++これより本編+++++++++++



「舞台設定が斬新でおもしろいと思うよ。まだ文章の処理が全体的に稚拙だけどな」
「今はもう少し良くなっているつもりだ」
「だろうな。所であの続きは書いてるのか?」
 ここで町村は、不安そうな視線を竜野に向けた。
「いや、なかなかおもしろいストーリィ展開が思いつかなくて。あの続きの章を少し書いてからそこで止まっている」
 町村はそこで微妙な間を取った。
「そうか……俺、あれを貝原洋に読んで貰ったんだ。俺はKさん担当なんだ」
 町村は貝原の名前の所でまたさらに声を落とした。
「貝原洋、有名な小説家じゃないか。よく読んでくれたな」
「人の耳があるから、ここではKさんと呼んでくれないか」
 町村の低い声に合わせて、竜野の返事も低くなる。
「K先生か?」
「Kさんだ」
「OK」
 町村は竜野のごく短い了解に納得して、話の続きを始めた。
「Kさんから昨日電話で呼び出された」
「ふむ」
「Kさんは、あれがとても気に入ったようだ。自分であの続きを書いてみたいと言ってたよ」
「そんなに気に入ってくれたの? Kさん」
「そうだ。あの人はね舞台設定から入るんだ。興が乗ればどんどん書ける人だ。でも実は、この二年間彼は殆ど執筆してない」
「何で?」
「スランプさ。それもかなり重度のスランプだ……」
「へえ」
 人気作家のスランプか、自分のスランプとは相当違うのだろう、竜野はそんなことを考えていた。
「最近のKの仕事は、文学賞の選考委員だけなんだ」
 いつの間にか「さん」が取れていた。竜野もそれに合わせた。
「Kは何故、俺の小説の続きを書きたいんだ」
「だから、あの舞台設定なら書けそうだと言うんだ。実際、Kはこの六日間であの続きを百枚も書いた。Kの復活って訳だ。その百枚を『交差点』の来月号に載せたいと思っている……それが今日の用件なんだ。あの小説を俺に売ってくれ」
「売るったって、ほんの数ページだぜ」
「十万円でどうだ」
「十万円も! 俺は全然構わないけど、それ誰が出すの? T書店か?」
「いやT書店は関与していない」
「じゃあKか?」
「いや、俺だ」
「何でそうなるんだ?」竜野はムキになってそう問い返す。
「お前は親友だ。秘密を守れるな」
 町村は人差し指を唇にやった。竜野は頷く。
「勿論だ」
「Kの作品の中には、俺が書いたものが幾つか混じっている」
「何だって!」竜野は小さく叫んだ。
「声が大きいぞ」町村はもう一度口の前に指を立てた。
「あ 悪い」竜野は口をへの字に結んだ。
「勿論、俺の三作を除けば、後は全部彼の自作だ」
「そうか。まあそれで当たり前だろう。町村お前、何で自分の名前で書かないんだ。元々作家志望だろうが」
 竜野の率直な疑問に対し、町村は小さく何度かうなずいた。
「いや、俺も他社の文学賞には色々応募してみたさ」
「駄目だったのか」
「うん……中々世間と云うものは甘くはできていない」
 この前の時と違って、今日の町村はやけに素直だった。
「Kのどの作品がお前のだ?」
「それは言えないし、訊かないでくれ」
「…………じゃあこれだけは教えてくれ。それらは売れたのか?」
 竜野は町村の無念を思い、そう問い質した。
 町村は穏やかに答える。
「全部十万部を超えた」
「おいおい、大ヒットじゃないか」
「まあ中ヒットぐらいだ」
「それでKは、お前に何をしてくれた?」
「パソコンと冷蔵庫と洗濯機を貰った」
「全部で幾ら位だ? 三、四十万じゃないのか?」
「その位かな」町村は自嘲するように微笑んだ。
「バカだな、町村」竜野は呆れたが、いたわる様にそう言った。
「かもな。仕方が無いんだ。Kとは腐れ縁だから」
「弱味でもあるのか?」
「Kの弱味を握っていても、俺に弱味は無い」
「だったらどうして?」
「いいんだよ……竜野、悪いがその辺はまた別の機会に話す」
 町村の視線が遠くなる。
 色々あったのだろうと思い、竜野はそこで引き下がった。
「きっとだぞ。まあ町村が正直に訳を話してくれたから、あれは売るよ」
「十万円、商品券でも良いか?」
「良いよ。で、Kが書いた続きはおもしろかったのか?」
「ああ、結構おもしろいよ」
「じゃあ来月号を買ってみるよ」
「いや、俺がお前の自宅宛に送っておく。でも、くれぐれもこのことは秘密にしてくれよ」
 ああ勿論だと云う返事が終わらない内から、小さな包みが目の前に差し出された。竜野はそれをじっと見る。
 竜野の何か言いた気な様子に、町村は気付いた。
「そいつは、Kからもらった商品券だ」
「だろうと思ったぜ。Kの相場はいつだって、一件十万円ってことだな」
「そういうこと」
 二人同時に笑ったが、町村の笑いは哀愁を帯びていた。
「で、話は変わるが、俺の投稿した作品を読んで貰えないか」
 竜野は町村の実力を再認識し、そう頼んでみた。
「他社に投稿済のものは読みたくない」
 町村はこの前と同じ返事を繰り返した。竜野はもう一押しする。まだ竜野の用件は済んでいないのだ。
「でも『ホテル新宿最上階特別室』よりは出来は良いぞ」
 町村は竜野を見て腕組みをし、考えるように言った。
「そうかも知れないが……わかった、こうしよう」
「うん?」
「ウチの推理新人賞に応募しろ。その作品を見るよ」
 願っても無い提案に竜野は驚いた。
 影でバックアップしてくれると言うのか?
「この前は駄目だと言ったくせに」
「他の人に下読みさせる」
「できるのか?」
「できるさ」自信家の町村が戻って来たようだ。
「俺もそう思ってたよ。やはり裏があるんじゃないか」
 竜野はそう言ってにやついた。町村は真顔だ。
「裏は無いさ」
「候補作品まで残れるのか?」
「お前の作品の出来次第だ」
「そうだろうな、それで公平ってもんだ」竜野は納得する。
「一章書きあげる毎に、メールで送ってくれないか」
「途中でも見てくれるのか?」
「ああ、最終候補まで残れるように見てやるさ」
 自信たっぷりに町村は頷いて見せた。
 竜野は嬉しくて、おどけた様にこう訊いた。
「おい、本当に裏は無いのか?」
「裏は無いと言ってるだろう。実力で残るのさ」
「そうか」竜野は、やる気が満々と湧いて来るのを自覚した。
「そうだよ」
「わかった」
 二人は今度こそ明るく笑った。






     五 『交差点』推理新人賞への挑戦

 町村と別れ、家に戻った竜野は、早速パソコンデスクのある狭い和室に篭った。
 町村の勧めた『交差点』推理新人賞の締切は十二月末日。
 候補作品十点を選ぶ、編集者会議による第一次選考が翌年四月末日で、最終候補五作品に絞る、選考委員と編集者の合同会議による二次選考が八月末日。
 選考委員会による本賞選考は、その四ヶ月後の十二月二五日だ。別名クリスマス賞とも呼ばれるゆえんである。
 一年と四ヶ月後か、竜野信也はふうとため息を吐いた。
 応募締切までは今から四ヶ月間、十分とも云えるし短いとも思える微妙な執筆期間である。
「今年はもうこれ一本に絞るしかないな。この応募締切の半月前に『NEXT賞』の結果が出る。来年の正月を笑って迎えられるか、大勝負の年になりそうだ」
 パソコンディスプレーを食い入るように見詰め、マウスのクリックを繰り返し、太平洋書店のHPを検索し、交差点推理新人賞を念入りに調べた結果、信也はそう呟いた。
 白を基調にした明るいリビングから、その様子を窺っていた妻の広美は、これは棚から牡丹餅? 瓢箪から駒? ひょっとすると夫は本当に作家になっちゃうかもと、妙な期待感を持って見守っていた。
 広美は、願い続けそしてそれに向かって精進すれば、夢はいつか現実になると信じていたし、"Dreams come true"と云う言葉の響きが大好きだった。
「それにしても、六月、八月と長編を二作応募したばかりなのに、あのクリスマス賞にまた長編を応募するなんて、信也のやる気を見直したわ。どれでもいいから頑張って賞金取ってね」
 広美は胸の中でそう呼び掛けてから、昼食の準備に取り掛かったが、夫がそのクリスマス賞の賞金一千万円を、本気で狙っていることはまだ知らなかった。

 竜野は以前の書きかけ小説の中から、適当なネタが無いかと検討していた。
 交差点推理新人賞は、新人賞としては異例の長編枚数規定がある。四百字詰原稿用紙で千枚以上二千枚まで……四ヶ月、百二十日間だから、一日八枚書けば約千枚。
 時間的な余裕は余り無い……★


テーマ:ミステリ - ジャンル:小説・文学

オリジナル長編小説「ドロップ」第7回全35回
★前回までのあらすじ★

 大学時代の友人竜野信也から自作小説を読んでみてくれと頼まれた文芸誌「交差点」の主席編集者町村博信は、渋々その小説を読んでみた。舞台設定に興味をもった町村はそれをプリントアウトし、担当の人気作家貝原洋に送付したが意外な方向へと話が進む。
 町村は信也を呼び出し、あの続きを書いていないなら買い取りたいと申し出た。信也が理由を訊ねると町村は止むを得ず話した…貝原は不完全な作家でストーリィのうまい設定を自分では考え出せないが、ある程度の設定を手に入れるとどんどん書き進めることができると言う。町村自身もかつては作家志望で、貝原のゴーストライターとして3作ほど書いてヒットしたと言う。所が自分のペンネームで書いたものは全く採用されず評価されないのだ。
 信也は自作を売る代わりに添削指導を依頼した。町村は交換条件を受け入れ、新作で「交差点推理新人賞」へ応募しろと言う。


++++++++++これより本編+++++++++++



 この長編に耐えられるネタは……
 こいつはどうだろうかと、竜野は呟いた。
《「欲望の罠」プロット……
 三人の男が登場する。
 男たちは当初は無関係だ。
 二十代前半の未熟な男はインターネットにのめり込んでいた。
 三十過ぎのやり手の男はたなぼたの大金を手に入れた。
 もう一人の競争社会に疲れ果てた男は、四十歳にして会社をリストラされた。
 それぞれが環境の劇的変化に翻弄される内、今まで自分自身の中に気付くことの無かった激情にも似た欲望に目覚める。
 それぞれの男は偶然にある女と関わってしまう。
 その女がある日失踪する。
 男の一人は女を捜索する内に、他の二人がその女に深く関わっていた事を掴む。
 そして他の二人の内の一人が、女の行方を知っている筈だと思い込む。
 果たしてその女は、三人の内の誰かによって拉致されたのか、殺されたのか? あるいは、その三人とは無関係の理由により失踪したのか? 第四の誰かによって自由を奪われたのか?
 いずれにしても三人は各々、自分以外の二人の異常性に気付き、それを指摘し合う事で、自分自身の持つ異常性に向き合わざるを得ない事態に陥る……》
 このネタで書けるだろうか?
 ホラー小説大賞に応募した第二作は、広義の推理小説と言えないこともないが、近未来小説と云う都合の良い舞台設定で、想像を駆使することが出来た……
 しかし、この現代モノのネタで推理小説となれば、競合作品群との差別化はかなり難しい。
 町村のプロ的なアドバイスがやはり必要になりそうだ。
 竜野は、その点ではライバル達よりも有利な筈だと考えて、胸の不安を打ち消した。
 幸いなことに、千枚以上という枚数規定が大きな壁になっているのか、例年の応募点数は百点強と少な目らしい。
 その分これに絞り込んで来るツワモノどもの、高レベルの争いになるとも聞く。
 打ち消したばかりの不安が、また頭をもたげてくる。
 竜野はとにかく、書いてみようと決意した。悩むのはそれからで良い。
 竜野はディスプレーに向かってタイプし始めた。

 新作に取り掛かった、一週間後の九月四日土曜日の昼下がり、竜野はどうにか第一章「研二」を書き上げて、「欲望の罠」プロットと共に、町村宛にメールした。
 驚いたことに、その日の内に返信メールが送られて来た。
『「欲望の罠」のプロットですが、中々おもしろそうだと思います。書き進め方によっては、十分長編に耐えられるでしょう。
 第一章「研二」についてですが、私自身はインターネットコミュニケーションのチャットとか、掲示板について殆ど知らないのですが、本文を読んでみて、その世界が十分想像できましたし、強い興味を覚えました。
 またチャットの世界で遊ぶ、研二の少し異常な雰囲気が良く表現されていると思います。
 これから書く予定の第二章「康平」と、第三章「雄三」のことですが、よろしければその人物設定について早目にお知らせ下さい。もしまだ良いアイデアをお持ちでないならば、当方にも少し案がありますのでそれを検討してみて下さい。
 とても友人宛の文体とは言えませんが、作家に対する編集者の立場で書く方が、普段から慣れていますので、あまり気にしないでもらえると助かります。
 竜野、四ヶ月間一緒に頑張ろうぜ!』
 竜野は、町村のメールの最後の一文に思わず笑った。
 実の所、三十過ぎの康平と、四十歳の雄三についての人物設定はまだ細かく詰めていなかった。
 編集者としての、町村の案も是非聞いてみたい。そう思った竜野は、町村と同じく丁寧な文章で、彼等の人物設定案を提供してくれるようにとメールを書いた。
 竜野はパソコンデスクの前に居る時は、一休みする度にメールをチェックする。
 これはチャットで遊んでいた頃に出来た習慣である。
 当時のピーク時には、日にメールが七、八通も来て、その返信を書くのが大変だった位だ。今も十数通のメールが来るが、返信が必要な個人からのものは殆ど無い。
 第二章「康平」をどう書くか、少しばかり悩んでいた竜野はメールをチェックした。
 午後八時に出したメールの返事がもう来ていた。その着信時刻は九時前だ。
 俺のメールを町村は待っていたのか……メールの内容を読んで竜野はそう確信した。
 薄気味が悪いほどの町村の協力ぶりに、こうやって編集者は担当作家を盛り上げて行くのかと感心する一方で、町村の本当の意図は何なのだろうと、竜野は訝しんだ。
 例の小説の冒頭を譲ったことに、それ程までの義理を感じているのだろうか?
 それとも俺に才能を見つけたのか?
 そう思いたかったが、そんな筈はないだろうと竜野は自嘲した。
 町村のメールによると、
「三十過ぎのやり手の男はたなぼたの大金を手に入れた」と設定した康平については、あなたの趣味の、ネットによる株式投資の経験が行かせるのではないでしょうかとあり、
「競争社会に疲れ果てた男は、四十歳にして会社をリストラされた」雄三については、十分に書き込まないと痛い目に遭うでしょうとあった。
 その理由については、年配の選考委員は、中年男性の設定や行動に、かなり拘る傾向があるからですと説明している。
 なるほど、人は自分の立場に近いものについては、自分に置き換えて考える傾向がある。そこをおろそかにすれば、それが致命傷になるだろうことは容易に想像がつく。
 町村は雄三の人物設定について、かなり詳しい記述をしている。恐らくは、自分自身がかつて、小説の中で書いたことの有る人物の設定なのだろう。
 竜野はそれを受け入れることにした。
 竜野は町村のアドバイスに従って、康平についても、ネット投資家を副業とする男で書き進めることにした。
 翌週末、出来上がった第二章「康平」を、町村にメールすると、その返信文で、今度はかなりの箇所の指摘と修正意見が付されていた。
 どうやら第一章「研二」については、竜野のやる気を削がない様に、褒めるだけにしておいたらしい。
 その証拠に、翌週直した第二章をメールすると、こんな返信メールが来た。
「とても第二章は良くなったと思います。
 どうでしょうか、第一章もあのままで良いとは思いますが、第二章とのバランスを取る意味で、もう一度始めから書き直してみませんか」
 竜野はふっと思わず苦笑した。
 こうして文芸誌編集者と、作家志望の男の間で、週末のメール交換が定例化することになった。

 九月下旬、竜野家に分厚い封筒が送付されて来た。
 差出人は町村で、中身は交差点十月号である。
 付箋のある目次を開くと、
「貝原洋・二年ぶりの新作、一挙百枚掲載! 六本木のラブホテルを舞台に奇妙な事件が起きる。大俳優の思惑を超えて、最高の舞台装置が一人歩きを始めた……」とある。
 二枚目の付箋のあるページには、中層のラブホテルの夜景をバックに、重厚な壮年男の顔が描かれた挿絵と、「ホテル六本木最上階特別室」と云うタイトルが印刷されている。
 書き出し部分は、殆ど竜野の「ホテル新宿最上階特別室」と同じだが、文章は遥かに磨かれていた。
 竜野はその短編小説を一気に読み切った。
 なるほどあの話がこういう風に展開するのか、竜野は、スランプだった筈の貝原の筆力を知り脱帽した。
 同時に二つの疑問が湧いた。
 一つは、何故これほどの作家がネタを人に頼ろうとするのか。
 もう一つは、この短編小説が果たして盗作と言えるのか。
 始めの十枚は確かにパクリだが、九割はオリジナルだ。そしてその九割が上出来なのである。
 竜野は貝原洋と云う不完全な作家に、強い興味を覚えた。
 そして竜野自身に、小さな三つ目の疑問が湧いて来た。
 町村とキャッチボールしながら自分が書いている小説は、果たして盗作に当らないのだろうか……






     六 十二月

 八月末から、大きな夢に向かって竜野信也は書き続けた。
 町村博信の助けが無ければ、途中で挫折したかも知れない。
 竜野は毎日のように、県庁をほぼ定時の五時で退庁した。そして一日十枚を目標に書き続けた。目標に足りない分は週末に取り返した。
 十二月二十四日、漸くその長編小説は完成した。
 千二百枚の大作……竜野は心の中で祝杯を上げた。やり遂げた充足感が胸一杯に満たされていた。
 ポーン!
 いつの間に用意したのか、シャンパンを広美が抜いた音だ。
 隣の居間から、開いていたドアを通して響き渡った破裂音は、和室の信也を仰天させた。
 信也は暫し首を竦めていたが、立ち上がって白いリビングへ移動した。
「メリィクリスマス! しんちゃん」
 広美が、シャンパングラスを信也に手渡す。
 信也がグラスを構えると、とくとくとシャンパンが注がれた。
 信也はまだ目を白黒させている。
「珍しいね。広美がクリスマスイブを祝うなんてさ。どうなってるんだ」
 ふふと笑って、広美は自分のグラスにもシャンパンを注ぎ、それを信也のグラスに軽くぶつけた。
 今日の広美は、珍しくきちんとメークしていて美しい。
 信也は、いつもメークしていて欲しいなと心で思ったが、口には出さなかった。
「これクリスマスプレゼントだよ」
 グラスのシャンパンをお互いに飲み干すと、広美はA4大の厚みの有る、赤いリボンの付いた包みを差し出した。
 信也は受け取ったそれを、嬉しそうに軽く揺すってみる。
「何これ? 俺広美には何も用意してないけど」
「マウスとマウスパッドのセットだよ。無線のマウス」
「ええ、悪いな。ありがとう。俺欲しかったんだ、こういうの」
 でしょうと言いながら、広美は信也を見詰め微笑んだ。
「遅ればせながら、『NEXT賞』のお祝いも兼ねてね」
「あれは、B賞だったぜ。コメント以外のご褒美は何も無かった」
 信也はちょっと照れ臭かった。
 去る十二月十五日に、角川書店から六月中旬に投稿した「風俗の天使達」のコメントシートが、野性時代の最新号と共に送られて来たのである。★


テーマ:ミステリ - ジャンル:小説・文学

オリジナル長編小説「ドロップ」第8回全35回
★前回までのあらすじ★

 文芸誌「交差点」編集者町村博信は竜野信也の頼みを受入れた。信也の書き掛け小説の舞台設定に興味を持ったこともあるが、それをスランプ中の担当人気作家貝原洋の為に買い取った弱味もあったからだ。
 町村の提案に従って新作で「交差点推理新人賞」へ応募することを決めた信也は、過去の書き掛け小説の中から千枚もの長編に耐えうるネタを探る。「欲望の罠」なら書けそうな気がした。
 メールで第1章を町村へ送付してみると意外にも好評だったが、第2章を送るとかなりの点で添削指導された。書き直した第2章を送ると、良くなったがバランスが悪いから第1章も書き直せと云う。
 そんな中で九月下旬、竜野家に町村から交差点十月号が送られて来た。付箋のページには信也が提供した冒頭部を元に「ホテル六本木最上階特別室」 と云う貝原洋2年ぶりの新作が掲載されていて、おもしろい短編小説に仕上がっていたのだ。
 9割までオリジナルのこの作品は盗作に当るのか、そして町村とキャッチボールしながら今書いている小説は盗作にならないのか…
 8月末からこうして書き始めた新作は、県庁を定時退社しながら寸暇を惜しんで書き続けた結果クリスマスイブに完成した。



++++++++++これより本編+++++++++++



「でも次はA賞の見込みがあるじゃない。だからその前祝でもいいわ」
「そうか、ありがとう」信也は妻の祝福が単純に嬉しかった。
「それに、今日しんちゃんの第三作も完成したみたいだし。本当はそのお祝いのつもり」
「知っていたのか? 俺まだ広美に見せてないのに、よくわかったな」
 見ていないようで、影で見守ってくれていた広美に、信也は強い愛おしさを感じていた。
 今回の執筆については、町村と相談しながらやってきたが、広美には敢えてあまり話さないようにしていたのだ。
「妻ですから当然よ」
「じゃあ明日の晩は、俺がディナーをご馳走するよ」
「うん」
 そう頷いた広美は、信也を見詰め「長い間お疲れ様でした」と付け足した。
 信也もうんと答え、「読んでみる?」と付け加えた。
「お正月にゆっくり読ませてもらう。いつ応募するの?」
 その新作をすぐにも読みたかったが、広美は、夫に少し休んでもらいたいと思っていた。
 ここ数日間、信也が睡眠時間を削って、追い込みを掛けていたのを知っているからだ。
「大晦日が応募締切だから、あとは梗概を書いて、二三日内には応募するよ」
「町村さんが付いていてくれたんだから、今度のは凄い期待できそうだね」
 広美は、披露宴の時を含めて二度会っているから、自信家の町村を知っている。
「最終候補までは残らせると町村は言ってた」
「そんなことできるの?」広美の目が輝いた。
「来年四月の一次選考は、編集者だけで十作決まるらしいから、そこまでは多分大丈夫だと思うよ」
「へえ。二次は?」
 広美の目が光ったように信也は思った。あまり期待を持たせても後が怖いとも思った。
「編集者と選考委員の、八月の合同選考会議で五作に絞られる。それが最終候補作品なんだ」
「そこまでは、町村さんが保証してくれるんだ?」
「いや。実力で残るだろうと言ってる」
 信也は曖昧に笑った。
「残らせるんじゃないの?」広美は凝っと目を覗き込む。
「その辺は良くわからん」
 信也ははぐらかすようにそう答えた。信也自身がそれを訊きたい位だった。
「裏事情は知らない方がいいかもね」広美はにっと笑って見せた。
「そうだな」信也は思わず苦笑した。

 翌日、本年度「交差点推理新人賞」別名クリスマス賞が発表になった。
 TVのニュースで短いインタビューが流れている。
 その受賞者の喜びの声を聞いて、来年はその場に自分が居るかも知れないと、竜野は思わず想像して笑みを浮かべた。





     七 慧からのメール

 二〇〇五年が明けてから三ヶ月もの間、竜野信也は全く小説を書いていない。
 二〇〇一年からチャレンジした小説は、当初の三年間もの試行錯誤期間を経て、遂に三作の長編を結実させた。
 その結果、燃え尽き症候群に陥ってしまったのである。
 殊に三作目の千二百枚もの長編が、その直接的な原因となったことは間違いない。
 文学賞を狙って書く作業は、書いたものを文学賞に応募することと似ているようで、全く異質のプレッシャーを信也に与えていた。今の信也には、貝原洋のスランプが少しわかるような気がした。
 そして四月……
 かつて張り切り過ぎによる報復として、左遷の様な異動命令を受けた竜野が、新年度の県庁の定期異動において、前年度の不甲斐無い働き振りから、東金市へ派遣される形で本当に左遷されてしまった。
 派遣期間は異例の長期に渡る三年間だ。
 竜野の張り切り過ぎを、唯一評価していた当時の課長代理が部長となって、引き上げる形で課長代理に抜擢したのに、その期待を裏切った為の報復人事だった。
 竜野の精神状態は鬱病に近かった。

 四月下旬、太平洋書店の町村博信から朗報がもたらされた。
「おう竜野、喜べ。お前の『欲望の罠』が一次選考の十作品に残ったぞ」
 町村は、携帯の受話口から返って来た「そうか、ありがとう」で終わってしまった、竜野の気の抜けた言葉に驚いた。
 続けて町村は千葉県庁の総務課に、竜野広美の所属先の電話番号を問い合わせて連絡した。
 一次選考に残った話を伝えた時の、広美の声は明るかったが、信也の話になるとその声から色あいが消えた。
 広美は町村に、どうにか聞き取れる程の小声で、正月休みに入ってから虚脱状態になって、春の定期異動でさらに状態が悪化していることを説明し、お酒を誘ってやってくれと頼んだ。
 友人町村からの誘いなら、夫も気分転換に外出すると思うからである。

 竜野が鬱状態になったというのは、町村にはかなり意外なことだったが、八月の二次選考で、最終候補五作品に選ばれる頃までに元気になっていればいいさと、軽く考えていた。
 新社会人の五月病みたいなもので、三月もすれば治る類のものだろう、本業を別に持ちながらの、四ヶ月間のプレッシャーが少しばかり大きかったようだから、ここいらで少し休むことも、竜野にとっては良いことだろうとも思っていた。
 いやそんなことよりも、自分自身が公私に渡って疲れ切っている今、町村は、落ち込んでいる中年男のお守までは願い下げだったのだ。
 町村にとっても、前年の最後の四ヶ月間はハードだった。
 本来の仕事とは別枠で、素人作家を養成していたのだから。
 そして年明けからの四ヶ月間も同様にハードだった。
 太平洋書店の看板文学賞の一つ、「交差点推理新人賞」の応募作品約二十点の下読みが割り当てられたからだ。
 例年のこととは言え、千枚以上の長編の下読みはきつい仕事だ。短編で賞金の低い「交差点新人賞」と異なり、クリスマス賞のレベルは平均的に高いから、最初の十枚で八割も除外する訳には行かない。それで落せるのはせいぜい二割だ。
 四作品に絞るのは新人賞と同じだが、十五、六作は全文読まなければならないのだ。
 千枚と言えば文庫サイズにして五百ページである。中には二千枚近いものまで含まれている。帰宅後に、一週間あたり長編一冊を選考と云う形で読まなければならないこの時期は、交差点編集者の誰もが小説嫌いになる時期なのである。

 五月の初め、竜野の許へ角川書店から「日本ホラー小説大賞」の一次選考の結果、候補作品十点の一つに「黒い美学」が選ばれたとの簡単な通知があった。
 付随する情報と云えば、八月下旬に二次選考が行われ、その中の五作品が最終候補作品になるとの記載があるばかりだった。
 クリスマス賞に引き続く朗報に、竜野の気分は幾らか良くなった。特に二作目を応募したホラー小説大賞は、自分で探し出し、自分の意志で応募したものだからである。
「これでもしも、クリスマス賞が取れたら……県庁を辞めても良いかな?」
 ふとした思い付きだった。
 その思い付きは、次第に竜野の中で広がっていった。
 リビングの窓を大きく開け放つと、初夏の爽やかな息吹が体全体で感じられる。
 もうこんなにも季節が変わっていたのか?
 竜野は遅ればせながら、漸く灰色の冬の世界から抜け出したことを自覚した。

 ゴールデンウィークの終わり頃、竜野は懐かしい人からメールを受け取った。
 松原慧、ハンドルネームkeiからである。
 今になって慧が連絡して来るとは思ってもいなかった。
 一年半前の甘酸っぱい思い出に、信也の胸が少女のようにきゅんとなった。
 そして辛さからなのか、心が凝固してしまったあの記憶が蘇り、その中にほっとした気分が入り混じっていたことも鮮明に思い出した。
 慧の名前は、つむじ風のように信也の心を揺さぶって通り抜ける。水色っぽい空気がその場に漂って信也を包んでいた。
 気分をできるだけ平静にして、信也はそのメールを開いた。

「信也様、あなたは私にとっては今でもシンです。だからシンと呼ばせてね。
 二〇〇三年の十一月だから、もうあれから一年半が経ったのですね。
 あのようなメールを送り、一方的に絶交を宣言した女が、今更何の用事だろうとお思いでしょうね。
 その通りです。
 私はあの時の、多分正しい決断に従うなら、このようなメールを送るべきではないのでしょう。
 でも……一年半が過ぎて、今自分の心の中には、あの時のケイの他に、もう一人のケイが居ます。keiと慧……
 あの年の夏、私達は藤川夏生のHPにあったチャットで出会いました。
 あのチャットコーナー、無くなってしまったんですね。つい最近それを知りました。
 やがては彼女の公式HPも、人気の陰りと共に消えてしまう日が来るかも知れない。でも……今の私は、そんな風にしてあの思い出が薄れ、消えてしまうことがイヤなのです。
 私はこの春、上智大学法学部の二年生になりました。
 勿論高校生の時からの目標である外交官になる為に、大学では毎日勉強に励んでいます。
 この頃私は、同級生達を見ていて、何故か不思議な気がするのです。★


テーマ:ミステリ - ジャンル:小説・文学

オリジナル長編小説「ドロップ」第9回全35回
★前回までのあらすじ★

 文芸誌「交差点」編集者町村博信と県庁職員竜野信也による執筆と指導のキャッチボールによって、「交差点推理新人賞」向けの千二百枚の長編推理小説は漸く応募締め切り間際の12/24に完成したが、翌2005年の春になっても信也は執筆から遠ざかった。燃え尽き症候群に陥ったのだ。
 12月の繁忙期にもせっせと定時退社を繰り返した結果、4月の人事異動では東金市へ長期派遣されることになり信也は仮性うつ病になる。
 4月下旬、町村から交差点推理新人賞の一次選考通過の通知があり、5月始めには前作の「黒い美学」が応募先で一次選考に残ったとの通知が来た。信也は続いた朗報で県庁を辞めようかと思いつく。その思い付きが膨らんでくると鬱の気分はどこかへ飛んで行った。
 ゴールデンウィークの終わり頃、チャットで失恋した相手、松原慧からメールが届いた……


++++++++++これより本編+++++++++++




 苦しい受験勉強を自分に課して、その結果希望の大学に入り、大きなチャンスを手にしているのに、まるでもうゴールしてしまったかのように毎日を遊んで暮らしている。
 彼等の話題と言ったら、どこどこの店で今ブランドセールしてるとか、今度どこそこでA大学の子と合コンがあるから一緒に来ないかとか、B子がC男に振られたとか振ったとか、たまに大学の講義の話題になれば、休講情報と、好い男、あるいは好い女が、何とかの講義に出てるけど知ってるかとか、その他には代返の依頼みたいなことばかり。
 彼等は何の為に大学に入ったのでしょう……どうやら私は、少しばかり本筋から脱線してしまったみたいです。
 私が言いたいのは、私は自分の実力以上の志望校に運良く入学できたのだから、そのチャンスを活かしたいと思っているということです。
 でも大学の講義がそれほど難しいと思ったことはありません。
 何故大学の先生はあの程度の講義しかしないのでしょう。
 私はこのように、大学生活の色々なことに対して怒っています。いや悲しいのかも知れません。
 三年生になればゼミナールがあります。
 その授業は、一般の授業とは全く違うと言ってくれる先輩が居ます。私は今それに期待しています。
 折角シンに、この大学に入る勇気と力をもらったのだから、私はそれを無駄にしたくないのです。
 本当を言えば、私が習った数々の授業でも、あの時シンが教えてくれた論文の書き方ほど役に立ったと思えることは、一つもありませんでした。
 今更ですが、あの時書いたメールで、シンのことを最後の方で、けちょんけちょんにやっつけてしまったこと……
 きっぱりと別れる為に、シンのことを嫌いになろうと思って懸命に書いたのです。そしてその方が、シンの為にもなると信じていました。
 だってシンには守らなければならない、大事な配偶者がいるのだから。
 私はそこに割り込む形にはしたくなかった……
 私の心の中に、いつしかシンが住み着いてしまったように、シンの中にも私が住んでいると、あの時は錯覚してしまったのかも知れません。
 私がメルボルンのハイスクールで、三年生の最後の時期を送っていた頃、チャットとメールで仲良くなったシンが、国際電話してくれると言ってくれました。
 そしてその通りしてくれたよね。
 それから毎日のように、一時間も二時間も話しましたね。時には四時間を越えたこともあった。
 そんなことが二週間ほど続きました。
 あの頃、実は私はとても不安だったのです。
 帰国子女の為の上智大学の試験は、書類審査と小論文と面接だけでした。
 私はハイスクールの担任教師から推薦状をいただいてました。書類審査がそれでとても有利になったのです。
 ご存知の通り、欧米系スクールでは、十月から九月までが学習年度ですから卒業は九月です。
 その九月の卒業が近づいて、色々なパーティが次から次へと催されました。
 私のクラスには、日本の同じ高校から来た留学生が居たのですが、彼女ホームシックが酷くなって、卒業を前にして三年生の春に日本に帰っちゃったのね……それからは、ネイティブの子に気に入られようとして、私大分無理をするようになっていたの。
 クラスの子達は概ね良い子ばかりだったけれど、中にはやっぱり不良も居るの。
 私、その子達ともお酒を一緒に飲んだり、時にはマリファナパーティにも行ったりした。
 勿論、周囲の大人たちや、先生や、ホームスティ先のクリントン家の人達に、それを知られないように十分注意していたつもり。
 でもクラスのジョディに誘われた九月のパーティの時、皆でお酒を飲んでつい羽目を外して、ちょっとした騒ぎになったことが、先生に知られてしまったの。
 その頃丁度、上智大学からの合格通知が来たのよ。
 正直第一志望校が合格するとは思っても見なかった。
 シンの論文指導があったからこそだと、今でも思っている。
 それで担任教師は迷ったらしいのよ。
 その教師は厳しい指導で有名だったから、私一時は留年も覚悟していたの。
 実際に、普段から素行の悪いジョディは留年したしね。
 でもクリスティ、ああ担任教師の名前よ。彼女は日本からの留学生が一人脱落し、もう一人まで留年させることについて躊躇していたのね。
 そこに上智大学の合格通知でしょ。
 クリスティも、ソフィアユニバーシティが一流であることは知っていたの。そこで、卒業はさせるけれど、卒業後も二週間のボランティア活動をすること、と云う懲罰を私に課したの。
 それくらいのペナルティは、私にとってはなんてことないことだったけれど、ミスタークリントンにもそのことは知らされてしまった。
 彼はオーストラリアでは私の保護者だから、当然と言えば当然だけどね。
 クリントンさんが、シンの電話を取り次いでくれなくなったのは、そんな事情があったからなのよ。
 最後の二週間を無事に過ごさせて、ハイスクールをきちんとした形で卒業させて、日本に帰してやりたい……そんな親心から出たものだから、誰もあの時のクリントンさんを責める事なんかできやしない。
 悪いのは全て私だもの。
 クリスティは約束してくれたけれど、元々彼女とは折り合いが良くなかったから、私はその約束を信じ切れなかった。
 卒業させる条件を、クリスティと話し合っていた丁度その頃、シンが初めて国際電話してくれた。
 私はそのおしゃべりで、随分とプレッシャーから解放された。
 そして、ああいう気持ちが芽生えてしまって……
 だから丁度良かったのよ。あの時クリントンさんが取り次いでくれなかった電話は。
 あの前の日、帰国したらディズニーランドでデートしようと、シンが言ってくれた……もしシンとデートしたら、私は自分の気持ちを抑えられる自信が無かったから。
 そしてその数日後、あのメールを書いたの。
 でもメールは暫く出せなかった。
 帰国の日まで私は、それまで通りシンとチャットで会い続けました。
 そして帰国前日、私は漸く決心した。あのメールを日付だけ直して、送信ボタンをクリックした……
 最近ね、あの頃シンとやり取りしたメールを読み返してみたの。あの時全部削除しておけば良かったのにね……そうしたら私わかったの。
 あの時のシンが、私と同じ様な気持ちだったのじゃないかと云うのは、私の都合の良い希望的解釈だったんだって。
 シンのメールは、いつだって私に友情を示していた。それはとても強い大きな友情で、本当に大切なものだった。
 それを私が勝手に壊したんじゃないかって……私は今そう考えています。
 そして、それを伝えるべきだと思いました。
 シンの為ではなく、自分自身の為に。
 本当に勝手な考え方だと思います。
 でも、シンのメールを読み返していたら、こんな私でも、許して受け入れてくれるような気がしています。
 シンさん、このメールに返事してくれなくてもいいですよ。
 私はこのメールを書いたことで十分満足してますし、書いたことをきっと後悔しないと思いますから。
        慧より      」

 二度目を読んだ後、信也は別れのメールの時と同じ様に放心状態になっていた。
 違っていたのは、前回はそれが比較的長く続いたのに対し、今回は空虚な空間が、周囲の物質を吸い込むように、どんどん満たされていくのを感じたことだった。
 二週間続いた国際電話……信也は思い出す。
 IP電話が普及したおかげで、オーストラリアまでの国際電話料金は、国内で市外電話を掛けるような気軽さがあった。
 慧の声は、幾分ハスキーだがとても魅力的だった。
 それを言うと、慧は、ハスキーな自分の声が好きじゃないと言った。
 信也は、自分の高い声が嫌いだと言った。
 慧は、それ程高いとは思わないし落ち着いてるし私の好きな声だと言った。
 初めての電話なのに、慧との話は驚くほど弾んだ。
 チャットやメールで親しく話して来たからだろう。
 相手の顔が見えず、声も聞けない、文字だけを使った会話は、好意的な場合には、お互いが相手の言葉を理解しようと集中することで共鳴し、深いコミュニケーションを可能にすることがある。
 信也と慧も既に共鳴していたのだ。
 始めの一週間は、信也は、仕事が終わる五時を待ちかねた様に電話して、慧と一時間位話した。
 次の週は、午後を半休にして、二時か三時頃からオーストラリアに掛けて、二時間ほども慧と話した。
 四時間を越える長電話は、週末のことだったのかも知れない。
 当時の竜野信也の職場では、全日の連続休暇を取る場合には、他の職員との事前調整が必要だったが、半日の連続休暇を一週間程度取る事は比較的容易だった。その名目として、信也は短期の教養講座を取ると説明した。
 慧は、年の差なんて関係無いと言ってくれた。
 その慧は、当時ハイスクールの三年生で、オーストラリアの就学年度が日本と半年ずれていることを計算すれば、大学一年生か、一浪生に匹敵することになるが、それでもまだ十九歳だ。
 ほぼ二十も年下の娘と、三八歳にもなる中年男が恋に落ちていたのだ。それは信也も認めざるを得ない。

 顔も知らない慧が、真剣にジャズダンスの練習をしている所を、信也は想像したことがある。
 すんなりと伸びた肢体、飛び散るほど噴出した汗、それを拭おうともせず一心不乱に長い振り付け練習を繰り返す慧。
 次第に切れが良くなって行くターン……慧はダンスの勉強もしていて、三分位の歌に付ける短い振り付けなら、十分から十五分もあれば覚えられると言っていた。
 例に引いたのは確か、モーニング娘の「LOVEマシーン」だったか。中学生の頃、初オンエアをビデオに録って、その翌日クラスメイトの前でその新曲を踊って見せ、皆をあっと驚かせたことが自慢だそうだ。
 今の身長は一六八位あるけれど、メルボルンでは、これでも小柄な女の子なんだよとも聞いた。
 それらの情報を総合した想像だった。

 論文が書けないと、慧に言われた時には、練習すればそんなの簡単さと、信也はチャットで答えた。
 信也は小説よりも、説明文とか論文系のものの方が得意だった。それは、仕事で日常的に書く文章と同じだからだ。
 じゃあ教えてと慧は言った。
 いいよと信也は答えた。
 今やってる問題集から、難度の高いものをメールするね、まだ私もやってない奴だよと慧は言った。
 慧から送られたメールに添付された例題は「死刑制度は廃止すべきか」と云うタイトルで、死刑制度に代えて終身刑を推進すべしと云う二千字ほどの論文を読んで、a著者の主張を二百字以内で要約し、bあなたは死刑制度廃止と、終身刑についてどう考えるか、二百字程度で述べよという出題だった。
 しかし、あんな教え方が良く出来たなあと信也は思い出して、自分自身のコーチングに感心した。それはこんな方法だった。
①論文中のキーワードに印を付けて行く。a著者の主張の要約文に対する準備はこれだけで十分でしょう。
②キーワードの中から、b「あなたの考え」に使いたいものを絞り込んで丸印を付ける。
③さあ愈々丸印キーワードを使って「あなたの考え」を書くのですが、それをどの順番で使うか検討し、丸の中にその数字を入れる。これで準備は完了。書き始めてください。例題の論文以外の関連知識があれば尚良いが、無理する必要は無い。以上★


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オリジナル長編小説「ドロップ」第10回全35回
★前回までのあらすじ★

 文芸誌「交差点」編集者町村博信と県庁職員竜野信也による執筆と指導のキャッチボールによって、「交差点推理新人賞」向けの千二百枚の長編推理小説は漸く応募締め切り間際の12/24に完成したが、信也は燃え尽き症候群に陥った。
 2005年春の人事で左遷され鬱症状はひどくなるばかり。一方応募した新作と前作がそれぞれの文学賞で一次選考に通過するという朗報が入り、いっそのこと県庁退職を考えようかと思い付くと俄かに心も春めいて来た。
 ゴールデンウィークの終わり頃、チャットで失恋した相手松原慧から思いがけずメールが届いたが、読んで行く内にあの頃のトキメキが戻って来た。慧は信也の為を思って心を偽っていたのだ…



++++++++++これより本編+++++++++++





 メールによる信也の模範解答では、その例題論文を使って、具体的にキーワードを抜き出し、①から③までの手順で、実際に著者の主張要約文と「あなたの考え」を書いて見せたのである。
 教えると言った手前、逃げることはできなかった。
 だから信也は誠実に取り組み、考えを纏め、なるべくわかりやすく、小論文の解法を解説してみせた。
 慧はとてもわかりやすい解説だと喜び、これなら私でも何となく書けそうだと言った。
 実際この方法で、上智の小論文を書いたらしい。
 あの慧がもう二一歳になるのかと信也は考えた。
 自分は、今年の秋には四十になる。
 十九歳と云う二人の年の差は、永遠に縮まらないものなんだなと改めて思う。
 慧は小さな時に父を病気で亡くしている。自分に好意を持ったのも、ある種のファザコンなのだろうかと、信也は寂しく感じた。
 慧への返事をどうしようかと、信也は迷った。
 そこで初めて、広美のことが瞼に浮かんで来た。
 二人の女を同時に愛してはいけないのだろうか?
 女性からは即座に否定されそうな命題が、一年半振りに信也の心中に復活した。





     八 慧とのデート

「メールをくれて、とても嬉しかった。ありがとう。
 keiからの、あの最後のメールは何度も読み返して、自分なりに慧の本当の気持ちがわかったような気がしていました。
 そしてそれは、あまり外れてなかったと思います。
 それでも大きな喪失感が残りました。
 一月くらいは、ぼおっと過ごしていました。
 上手には説明できませんが、あの頃私は、慧に対して何か共鳴するようなものを感じていました。
 慧の声を聴きたい、とても聴きたい……だから電話を下さい。携帯の番号は、以前メールで教えたものと変わっていません。
  慧様
      シンより     」

 書きたいことがたくさんあって、翌日の五月七日土曜日に、竜野信也が初めに書いた返事はとても長いものになった。
 暫し目を閉じた後、それを削除して、信也は右のような短いメールを書き直し送信した。
 松原慧からは、その翌々日の昼休みに電話があった。

 090から始まる携帯からの電話だったが、それはたった二回のコールで切れた。
 信也はその見覚えの無い番号を見て、慧からだと直感したが、掛け直したい気持ちを抑えた。
 まだ慧の心の準備ができてないなら、もう少し待ってみようと考えたのだ。
 三分後に、同じ番号でコール音が鳴った。
 信也は少年の様に、胸にどきどきを感じながら受話ボタンを押した。
「はい、竜野です」
「シンさんですか?」
 聞き覚えの有る、幾分ハスキーで甘い声。
 懐かしさからか、一瞬にして信也の心は落ち着いた。そして新たなときめきに、胸が次第に熱くなる。
「慧だね、久し振りです」
「本当にそうだね」
「慧、元気?」胸が一杯で、信也はそれしか言えない。
「ええ元気です。シンさんはお変わりないですか?」
 慧の声からも不安が消えた。
 信也もほっとする。
「僕はまあ元気です。変わったことはたくさんあるけど、慧に対する気持ちとかはあの頃と同じだよ」
 小説を完成させることが出来たのは、慧とのことがあったからかも知れない。信也はそんなことを知らず知らず考えていた。
「…………ありがとう。シン あの時はごめんね……」
 信也の温かみに触れて、思わず目頭が熱くなり、慧の言葉は鼻声になった。
 二人の心がシンクロしたようだ。信也の声もくぐもってくる。
 信也は話す途中で、小さな咳払いを二回繰り返した。
「いいんだ。慧の気持ちは十分わかったような気がしたから」
「私のメールを読んだから?」
 慧は、信也の返信メールにあった『keiからの、あの最後のメールは何度も読み返して、自分なりに慧の本当の気持ちがわかったような気がしていました』と云うフレーズに、一年半しこり続けていた罪の意識が、救われたような気がしていた。
 あのあたたかい言葉を、信也の口から直に聴いてみたかった。
 信也はその言葉を使った。
「この前のメールじゃなくて、あの別れのメールを何度も読んで、慧の心がわかったような気がしたんだよ」
「本当に?」
「本当だよ」
 信也の声が、慧の中に優しく響く。
 ありがとうと、慧は声にしないで言った。
 そして「許してくれるの? 私のこと」と口にした。
「許すも許さないもないさ。だって俺、あの時、慧のことを始めから怒ってないもの……でも、悲しかったのかどうかは、良くわからない。ただ虚しかったんだ」
「…………私も同じ。あの時の私、どういう訳か悲しくはなかった……でもうつろだった。心の中が空っぽに感じたよ……」
「…………慧……俺達会えないかな?」
 信也はぽつりと会いたい気持ちを伝えた。
 その気持ちは慧に共鳴した。
「……うん、私も会いたいよ。ずっとシンに会いたかった」
「本当?」
「うん本当だよ。ずっとずっと会いたかった」
 自分の心に、素直に従う気分の良さを慧は知った。
「俺もずっと慧に会いたかった。だから……明日会えないか?」
「明日?」
「俺、休暇取るからさ」
「そんな急に取れるの?」慧の声が弾む。
「地方公務員は、休暇を取りやすいのさ」
「ふうん、いいね地方公務員って」
 二人の声は、既に明るくなっていた。
「明日授業休めるかい?」
「うん、一回位講義休んだって良いよ。私は花の女子大生なんだから」
「そうだよな。慧、どこか行きたい所ある?」
「前にシンが誘ってくれた、ディズニーランドか、シーに行きたいな」
「じゃあディズニーシーへ行こう。あそこはお酒も飲めるからね。二十歳過ぎてるからOKだよな」
「私、お酒は結構強いよ」
 こうして二人は、五月十日火曜日に初めて会うことになった。
 慧との電話を終えて、信也は小躍りするような喜びを感じる一方で、新たに膨らんで来る不安を感じた。
 二人が会った時、慧が十九歳の年の差をどう感じるのか? 
 もしもの時は笑って済ませばいいさ……
 会いたい気持ちが勝り、自分ではどうにもならない年齢差について、信也はそれ以上考えるのを止めた。

 チャットとメールと電話であれほど話していたのに、邂逅は緊張と沈黙を伴っていた。
 それでも、信也と慧はとうとう出会ったのである。
 信也が心配した年齢差を、慧は気にとめなかった。
 二人が待ち合わせた場所は、舞浜駅前ロータリー上部にかかるデッキ上だった。改札を出て真っ直ぐに進んだ所だ。
 そこで、ただ見詰め合っている信也と慧の横を、イクスピアリへ向かう若い男女が通り過ぎて行く。
 そのカップルは不思議そうに、この二人を一度振り返った。
 ランドの遠景も、イクスピアリの奇妙な建物も、ぼんやりとしか信也の目に入らなかった。
 はっきりと目に映るのは、自分を見詰める背の高い女だけだ。
 ブルージーンズに、スリークウォータースリーブの黒いカットソーと、幾つかのシンプルなアクセサリーで纏めた慧は、実年齢よりもずっと大人びて見えた。
 緊張と沈黙に耐えかねて、信也は切らずにいた携帯をまた口許に持っていった。
 慧も同じ様に白い携帯を耳に寄せる。
 信也は目の前の女に携帯で話し掛けた。
「初めまして竜野信也です」
「初めまして松原慧です」
「おじさんなのでびっくりしたかい?」
「そんなことないよ。シンは思ったよりも若く見える」
 恐る恐るの質問に対し、慧はにっこりと笑って答えた。
 笑った慧は、実年齢にぐっと近づいた。
 信也の顔も思わずほころんだ。
「どの位に見える?」
「四十歳位」
「ばか、まだ俺は三九だ。四十になるのは十月だもの」
「うそうそ、三十位にしか見えないよ」
 少しばかりムキになってそう言った信也だが、慧の言葉を聞くと、喜びにその目を少年の様に輝かせた。
 慧は、十九も年上の信也を可愛いと思った。
「本当かい?」
「うそじゃないよ」
 二人は必要の無くなった携帯をしまった。
 大人っぽく見える慧と、いくらか若く見える信也のカップルは、細身の体型が似ていることもあってか、少し遠目にみれば、恋人たちに見えないことも無かった。
 ディズニーと云うデートスポットのムードがそうさせたのか、二人はずっと以前からの恋人同士のように、心から楽しむことができた。
 二人の間に横たわる大きな障害も、今は何も見えなかった。
 日がかなり傾いた頃、二人はアメリカンウォーターフロントエリアにある、SSコロンビア号と云う客船内のレストランに居た。
 料理を食べながら、飲み比べるように二人はビールとワインを飲んだ。
 ほろ酔い気分の慧が、信也を見詰めて呟く。ハスキーで甘い誘惑の声……
「シン 私、今夜は一人になりたくない……」
「俺も、今夜は慧と一緒にいたい」
 信也は、言ってはならない言葉を口にした。
 自制心よりも、慧に対する素直な感情が優先し、危険な一歩を大きく踏み出したのだ。
「私、悪い女?」慧は自問するように言った。
「そんなこと考えるなよ」
 信也は熱い目で、慧の不安を吹き払おうとする。
 慧は信也の手を取り、僅かに震える手で強く握り締めた。
「でも……シンの家庭を壊すようなことを言ってる自分が怖い」
「今夜は一緒に居よう」
 信也は、慧の手を包むように握り返した。
「大丈夫なの?」
 慧は、信也の今夜のアリバイのことを訊いた訳ではないが、信也はそう受け止めた。
「大丈夫だよ。さっき友達の所に泊まると連絡しておいたから」
「そう」慧は、その時少しだけ寂しさを感じた。

 二人はその夜ホテルの一室で結ばれた。
 狂おしいほどの激しい抱擁は朝方近くまで続いた。★


……以下次章(第9章 町村と松原藍)


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